6個で108円(税込み)のシュークリーム

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1個だと何円か? 少年時代なら暗算で即答できたんだが、半世紀も経った今じゃもう脳がアレだから携帯の電卓機能を使う。「1個18円」と出た。うむ、安い!

一貫してノンベエの治五郎は甘いものが苦手で、落語と違って「まんじゅう怖い」は本心と言える。例外がシュークリームとアイスクリームで、コンビニなどで見かけると前後の見境もなく手を伸ばしてしまう(万引きするという意味ではない)。

本日も100円ローソンで6個入り「自家製カスタードクリーム」が目にとまったので、つい理性を失ってしまった(ちゃんとレジでお金を払いました)。

製造者は栄屋乳業株式会社(愛知県岡崎市)。容器に「クリーム充填の際、シュー皮の一部が中に入る場合があります。品質には問題ありませんので、安心してお召し上がりください」と書いてある。シュー皮という言葉があったのか。

味はどうかというに、もう少~しだけ甘さを抑えた方がいいような気もするが、なにしろ1個18円だから贅沢は言うまい。昭和30年代を思い出させる懐かしい味である。栄屋乳業さん、おいしゅうございました。

 

 

 

 

何十年ぶりかで見た変死体

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治五郎の隠居所は荒川区の端っこにあって、歩いて1分足らずで隅田川。橋を渡れば足立区に入る。さらに何分か歩けば荒川に架かる扇大橋があって、広い河川敷がある=写真=。

早朝に散歩するような健康志向とは縁のない治五郎だが、今朝はどういう風の吹き回しか6時台だというのに初めて荒川を越えてみた(泳いだのではなく扇大橋を渡って)。5月末から働いてワシを養わなければならない役回りになっている妻のアルタン(モンゴル国籍)も一緒だ。(ちなみに、そういう事情があるのでワシはジゴロー)

向こう岸に着くと警察官が20~30人もウロウロしていて、橋の下を見ると中年らしい男が倒れている。もう生きていないことは遠目にも雰囲気で分かる。検死が始まるところで、青いビニールシートもまだ運ばれてきていないが、橋上のお巡りさん(いわゆる「所轄」の署員)がシッシッという目で見るので立ち去らざるを得ない。

ワシも元新聞記者だから、若い頃はサツ回りも経験した。変死体が発見されれば真っ先に現場に駆け付ける。死体といえば殺人の被害者か事故の犠牲者のことで、フツーに病気や老衰で死んだ人の数とは桁が違う(自慢するな)。

立ち去りはしても、ほかに行く所はないからUターンして帰路につく。今度は、橋上にいる鑑識課員が犬(もちろんプードルやチワワではなくシェパード)に履物のにおいを嗅がせている。犬が「はい、分かりました」と納得した顔で歩き出す。一瞬、ワシらの方に直進して来そうなので少し焦った。(来るな、シッシッ)

夕方まで気をつけてTVのニュースを見たが、何も報じられない。事件性が全くないとは思えないのでとても気になるが、警察に「今朝のアレはどうなりましたか?」と電話したりしたら、またシェパードが来るかもしれない。

 

 

「相撲ロス」は隔世遺伝らしい

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相撲ファンは、本場所が終わって1週間ぐらいは「相撲ロス」に苦しめられる。この言葉はまだ辞書に載っていないが、意味は分かるはず。毎日が物足りなくて手持ち無沙汰で、なんともやりきれないのだ。一種の禁断症状。ネットで「相撲ロス」を検索すれば、同じ症候群に陥っている人が多くて「あ、やっぱりなあ」と思う。

ワシ(治五郎)の祖父は権三郎(ごんざぶろう=本名)といって、同居していたわけでもなくワシが小学生の時に60代で他界したから思い出は少ないが、新聞の取り組み表と首っ引きでラジオ中継(まだテレビはない!)に没頭する姿はよく覚えている。

栃若時代=写真は右が栃錦、左が若乃花(初代)=は権三郎の晩年の話で、ワシも知らない戦前の双葉山(あるいはもっと前の力士)に熱狂した世代なんだろう。権三郎から見ると息子を飛び越して孫が、相撲好きの血を継いだようだ。

こういう「隔世遺伝」は、ほかにもいろんな場面で自覚されることがある。ま、続きはまた明日以降。

 

「記憶にありません」に2種あり

 

一つは、言うまでもなく国会中継で昨日も今日も繰り返された常套句。その参考人に果たして記憶があるかないかは証明しようがないので、このセリフが出ると追及する側もそれ以上は追及できない(隠し撮りした画像や音声が暴露されたりすると面白いのだが幸か不幸か、まだ日本の監視社会もそこまでは進んでいない)。

少し退屈になってウトウトしたら、自分が参考人招致されている夢をみた。

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議員「そこで参考人にお尋ねしますが、昨日の晩は何を食べましたか?」

ワシ「え~っと……記憶にありません」

議員「記憶にないはずはないでしょう。何日も前の話じゃないんだ」

ワシ「でも本当に覚えてないんです」

議員「これは非常に重要な点です。委員長、証人喚問をさせて下さい」

 

議員「で、あなたは昨日の晩飯をどうしても思い出せない、と」

ワシ「は、はい………そ、そんなこと、し、知らねえ!」(映画「砂の器」で犯人の老父を演じた名優・加藤嘉の口調)

議員「和食・洋食・中華と分けて考えてみても思い出せませんか?」

ワシ「確か中華……最近ではレバニラ炒め=写真=を食ったが、それは先週だったかもしれない。マーボー豆腐がその前だったか後だったか、そこがどうも今となっては」

議員「中華料理が好きなんですね。委員長、質問を終わります」

 

ホッとしたところで目が覚めた。「記憶にありません」と言う人間には2種ある。忘れたことにして生き延びる人と、本当に忘れちゃっても生きてる人と。

 

 

 

 

ボーッと往来を眺める

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往来というのは①「行くことと来ること」②「道路。通り」のことで、ここでは②の意味だが①をも含意している。すなわち、道路といっても滅多に人が通らない農道や、車しか通らない高速道路のことではなく右から左へ、左から右へと頻繁に人や車(人力車ではない)が行き来する道路というイメージ。

昔は街のあちこちに縁台=写真=というものがあって、夏の夕方になると、地元の暇な隠居じいさんが二人で将棋を指したり、一人でボーッと往来を眺めたりしながら「涼む」姿がよく見られた。ワシも、そういう境涯に立ち至ったようだ。

近所に縁台は見かけないが安い賃貸マンションの1階なので、ベランダから往来を眺めることが多い(自転車置き場と、100円ローソンで買ったスダレ2枚(計200円、税込み216円)のおかげで、こっちに気づいて怪しむ通行人はいない)。

服装で明らかにイスラム教徒と分かるおばさんとか、声高な中国語のカップルとか、なかなか国際色も豊か。目の前を通る時間はほんの1、2秒なんだが、それぞれの人生が圧縮されているようで見逃せない。2秒間のドラマとでも申しましょうか。

隣の分譲(らしい)マンションの入り口前に毎日、何時間も腰かけて往来を眺めている〝大先輩〟がいる。一度、声を掛けてみたのだが反応は全くない。だいぶアレが進行しているのではないかと思う。

自室のベランダに戻って往来を眺めながら、人間の「長寿」や「幸せ」について、ワシなりに深い思索を巡らすしかないわけである。

兄弟子と弟弟子の口の利き方

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今場所は白鵬が通算勝利数で魁皇(現・浅香山親方)を超え、記録を更新した。素直に祝福したい。(写真が違ってるって? 分かってます)

これは2015年に当時の関脇・照ノ富士(今は大関)が初優勝して、付け人の駿馬と抱き合うシーン。なかなか感動的だった。駿馬はかなり年季を積んだ力士で若い照ノ富士の大先輩に当たるが、今も幕下の下の方にとどまっている。

この時の会話は、照「おい、やったぞ」駿「おめでとうございます!」なのか、あるいは駿「おい、やったな」照「ありがとうございます!」なのか。そこんところがワシにはよく分からん。

若い力士が大先輩を追い抜いて地位を逆転するのはよくあることで、現に最近はどの相撲部屋でも世代交代が進んでいる。兄弟子たちのカワイガリという名のイジメ?に耐えて弟弟子は出世していくわけだが、実力本位の世界で兄弟子を超えたり、弟弟子に越されたりした場合、言葉遣いは変わるものなんだろうか。

下級の力士を俗に「ふんどし担ぎ」といい、会社などでも下っ端という意味で使われるけれど、年下の横綱大関は年上の幕下や三段目に対して「俺の回しを片付けとけ」と言うのか、それとも「片付けといて下さい」と言うのか。

関取(十両以上)が幕下以下に陥落したり、その逆のケースが頻繁に起きる(だから大相撲中継十両下位と幕下上位が最も面白い)。番付の上下次第で言葉遣いが変わるとしたら、何か面白いコントが出来るような気もする。

本当のところはどうなのか。できれば誰か、お相撲さん自身に教えてほしいな。

 

 

 

「忖度」の本義

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あれ? 治五郎さんよ、タイトルと写真は少し話がズレてないか? と疑う読者がいるかもしれない。まあ、お聞きなさい。

読み方も知らない人が多かった「忖度」が、今は流行語大賞の有力候補になっているらしい。忖度とは「自分なりに考えて、他人の気持をおしはかること」(新明解国語辞典)で、下線部分は新解さんならではの緻密な解釈だ。

しかし「首相官邸(のエライ人)は自分じゃ言えなくても、こう望んでいるに違いない」と「おしはかる」のは忖度だろうか。そのエライ人に気に入られたいという下心が透けて見えるので、これは忖度というより「計算」だと思う。

写真左の人物を知らない国民はいないが(実は案外、いるもんだよ)、右の女性もアッという間に全国で有名になった。中年男性秘書に対する「このハゲ~!」以下の暴言は、テレビが四六時中流すもんだから耳にこびりついて離れない。梅雨の代わりにジメジメした鬱陶しい気分を味わうことになった。

そっと録音して週刊誌に持ち込んだ元秘書は、褒めていいのか憐れんでいいのかよく分からないが、豊田真由子さま(自称)は録音記録によって完全に逃げ場を失った。自業自得とはいえ、あそこまで人格が出てしまった肉声を暴露されれば弁解のしようはなく、病院以外に隠れる場所はないだろう。本人や周囲の現況を詮索する情報がネット上に氾濫しているけれども、治五郎の気になっていることは……。

真由子さま(あくまで自称) の子供たちは、いじめに遭っているのではないか。ミュージカル調で「♪私に嫌われた人は~、一体どうなるのかな~」的なことを言われてやしないか。さらに想像を逞しくすれば、かつて真由子さま(自称だってば)に1票を投じた人々の「心のケア」は大丈夫だろうか? 「ブームに乗せられて、あんな人物を政治家にしてしまった一人である私に生きる価値があるんだろうか」。ま、そこまで思い詰める有権者はいまいが、自己嫌悪にさいなまれる支持者(元)ぐらいはいてもいい。

忖度という言葉は本来、自分の利得・損得勘定とは無縁なところで「(自分と関係があろうがなかろうが)相手や他人様が今どんな気持ちでいるのか、どうしても考えてしまう」という心事を表していると思う。

それはともかく録音・録画が政治家その他の職業生命を一瞬で奪う時代になった。都議選で圧勝した小池都知事が、雨後のタケノコみたいな初当選の〝小池チルドレン〟に「人前で発言する時は録音されていると思って」と注意したのは正しい。文春とか新潮とか具体的な誌名は言わないが(言ってるよ)、彼らも仕事だから今夜も不祥事やスキャンダルの発掘に命を削っている。近々、また何か出て世を騒がすのだろう。

 

 

大相撲の周辺

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 2横綱大関が休場しているのは寂しい限りだが、今年の名古屋場所も後半を迎えて土俵が熱気を帯びてきた。

なんでも最近は「スー女」とかいうのが話題になっていて、新明解国語辞典風に定義すれば「相撲(特に大相撲)の知識が豊富で熱烈な女性ファン。概して若い」ということになろうか。下線部分は何歳から何歳までと特定できないが、例えば「あたしゃ双葉山が好きだったねえ。様子のいい男でさあ、69連勝した時なんかアンタ……あっ、フガフガ(入れ歯が外れた)」というような人は、スー女の範疇に入らないようだ。

ワシもどちらかと言えばもうフガフガの口だが、大相撲は好きなので場所中は幕下の取り組みから熱中して見る。ただし動体視力が衰えた(というか昔から弱い)ので、「今の決まり手は?」と聞かれても答えられない。どうでもいいような知識ばかりが増えるのだ。

例えば、妙な存在感が漂う呼出・大吉=写真=は、力士になりたかったのだが身長が足りず、それでも相撲の世界を諦めきれなくて呼出になった。前頭筆頭の正代(しょうだい=名字)は祖母の名前が正代(まさよ)で正代正代(しょうだい・まさよ)さんである。新大関の高安と関脇・御嶽海の共通点は何かというと、どちらも母親がフィリピン出身だということ。

だからどうしたの? と問われれば、黙ってうつむくしかないわけですが。

 

 

 

なんで治五郎?

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治五郎といえば普通、思い浮かべられる人物は嘉納治五郎=写真=であろう。講道館柔道の創始者で、近代日本のスポーツ界・教育界に巨大な足跡を刻んだ(足のサイズが大きかったという意味ではない。念のため)。

で、当ブログの筆者がなぜ治五郎を標榜するのか。それは、嘉納先生とは全く何の関係もない(もっとも、嘉納治五郎は昔の東京高等師範学校の校長を務めた人で、ワシが卒業した大学はその東京高師の後身に当たる。今の筑波大ということになっているわけだが、ワシの在学中は筑波移転反対闘争というのがあって、胸の内には今も筑波大を母校とは認めたくない虫がいる)。

どうも、カッコの中が長くなって話が先に進まないな。なんで治五郎なんだっけ? そうそう、嘉納治五郎とは全く関係ないというところまで来たんだった。

勘の鋭い読者が、早くも「ジゴロじゃないの?」と突っ込んできた。ご名答。

新解さん新明解国語辞典)でジゴロを引いてみよう。フランス語でgigoroと書くらしい。【男妾(ダンショウ)や情夫など、女性の経済力に頼って生きている男】。う~む、簡にして要を得た語釈だ。が、この辞書の厄介なところは、次から次へと確かめたくなる言葉が登場するので不眠を覚悟しなければならない点だ。

【男妾】「男めかけ」の意の漢語的表現。ジゴロ。

【男めかけ】情夫として女に養われている男。ジゴロ。

【情夫】[芸者・ホステスなどと]内縁関係にある男性。

世間で言う「ジゴロ」のイメージは、どんなものだろう。まず、金はない。働けば相当に稼ぐ能力はあるのだが、その意欲がない。しかし体力はある。〝夜のホームラン王〟などと呼ばれるくらいの絶倫系でないと、ジゴロは務まらないのだ。

ホームランどころか盗塁もしたことのない筆者(そもそも野球をした経験がない)に治五郎を名乗る資格はあるのだろうか。(ないよ)

嘉納先生、ちょっと下世話な話になりました。お許し下さい。

 

治五郎の前歴と「サンド会」の沿革

前歴といっても「前科前歴」のそれではなく「経歴」と同じような意味なので、あまり引かないでもらいたい。治五郎は逮捕された経験がないし、身柄どころか書類を送検されたことすらない。(自慢するな)

40代前半で働き盛りの新聞記者だった1997年初夏(ずいぶん古い話になったなあ)、昔から縁の深い土地である池袋にあった「アジュール」という店(「今もあるよ」と怒るな高木マスター)を借り切って「生前葬」と称する酔狂な宴会を決行した。毎年同じような文面になる年賀状の虚礼が嫌になり、仕事で知り合った仲良し(メンバーのほとんどが異業種の初対面同士)を一堂に集める画期的?な催しだ。

その成功に味をしめて毎月第一土曜日に飲み屋での「イチド会」、それでは足りずに第三土曜日に自室での「サンド会」が始まる。

ワシが「炎のイラストレーター」と敬っている加藤龍勇画伯は、旧サンド会の常連。今月で3回目を迎えた復活サンド会の参加者は珍しく彼一人だったが、パソコン音痴の治五郎に代わって、ブログ開設の一切を取り仕切ってくれた。

サンド会の基本スタンスは、一貫して「来たる者は拒まず、去る者は追わず」。いつか、このブログを愛読するような未知の変人が住所を探り当てて「来ちゃいました~」とサンド会に来ることがあるかもしれない。いいよ、拒みません。

 

 

http://fuki.sakura.ne.jp/~burabura/