由紀ちゃんというのは、この娘のことだった!

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どうじゃ、愛くるしいじゃろう。さすがはワシの姪っ子だけある(ウソです)。

柏木由紀さん=写真=と治五郎とは、全く何のつながりもない。それどころか、ワシは今の今までこの顔を知らなかった。そもそも、次から次へとダース単位で量産される今どきのアイドル(失礼)の顔や名前を、ワシは個別に認識・記憶する能力がない。

しからば、由紀ちゃん(事情通によると愛称は「ゆきりん」らしい)が先日来、当ブログに出没して世を騒がせている(いないって)のには如何なる背景があるのか?

それは、彼女が鹿児島で生まれたのが平成3年=1991年の7月15日だったという不思議な縁による。すでにご案内の通り、ワシがモンゴル人民共和国(当時)で〝38度線〟を越え、茫然自失の状態で日本に帰ってきたのが、同じ7月。髭ボウボウで職場の天井を仰ぎながら唸っているので、心配した上司からリハビリを命じられたものだ。

あれから26年。忘れ得ぬあの7月に生を受けた若い有名人には、どんな人がいるかと思ってネット検索したら、最初にヒットしたのが由紀ちゃん、アンタだったというわけなんじゃ。(しかも、これは全くの偶然だが、今年の7月15日といえば「治五郎日記」がスタートした当日ではないか。これを「宿縁」と言わずに何と言おう)

〝由紀ちゃん騒動〟に振り回された読者も、これで安眠できようというものだ。はは、ははは・・・ハァ(脱力して、うつろに笑うしかない治五郎であった)

では平成3年=1991年に何があったのか(承前)

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うむ、もっともな疑問である。ワタクシ(今日は少し改まっている)が、その年をもって平成を西暦に換算する際の基準とするようになったのは、ワタクシの意識の中で、その年が「前半生」と「後半生」をハッキリ区別する〝分水嶺〟だからである。

ワタクシ流に言えば同年、「モンゴル(当時は社会主義国)において38度線を越えた」のでした。「待ちなはれ治五郎はん、38度線いうのは朝鮮半島を南北に分断する緯度のことやろ。モンゴルとは何の関係もあらへんで! どないな意味や、言うてみい!」って、そう息巻かんかてよろしがな。(どうも大阪の人はセッカチで困る)

ワシは(ワシに戻った)当時すでに家庭人としても企業人としても「はみ出し者」系を自認していたが、平成3年=1991年の4月から7月まで仕事でモンゴルに滞在した。興味も知識も全然なかった「草原の国」に3か月余。首都ウランバートルは「かなり不便な大都市」で済むが、そこを出れば見渡す限り「何もない」世界=写真=。

電気もガスも水道もトイレもなくて平気という日本人は、もう一人もいないのではないだろうか(実はモンゴルでも、都会育ちはそうなってきている。パソコンやスマホなしでは生きられないという若者も今は多い)。

初めてモンゴルの自然と遊牧民の暮らし(の一部)を知ったワシが、その世界にズップリとハマった。38の時のことである。40代から始まる第1次、60歳以降の第2次(世界大戦みたいだが)人生の激動期は、ここに淵源があると考えざるをえまい。

モンゴルの話は今後も当ブログに頻出するだろうが、興味のない人は読まないでね。

「私は読まんでええの?」って、おや由紀ちゃん。アンタは平成3年生まれの26歳いうだけや。読みたかったら読みなはれ、退屈やったら読まんでよろし。(彼女にも大阪訛りがあるとは知らなんだ。しかし由紀ちゃんって誰? それは近日公開の予定)

 

「平成」を西暦に換算する能力

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光陰矢の如しとは言うが、昭和が終わってから29年も経った。

なに、由紀ちゃんは平成3年生まれで今は26歳? 小渕さん=写真=なんて人は見たことも聞いたこともない世代だわなあ。(小渕さんはさておき、由紀ちゃんって誰よ)

日本の一般国民は、過去の出来事を元号で記憶しているのだろうか、それとも西暦で覚えているものだろうか。現代では西暦の方が圧倒的に多いような気がする。ことに外国人にとっては日本の元号なんて無用の長物に違いない、と思う。

ところが、日本人に限らず元号と西暦の両方を覚えられる人が結構、いるらしい。例えば横綱白鵬(現時点ではモンゴル国籍の外国人)は自分の経歴や戦績を、「平成」を用いても語れるようだ。彼らの頭の中ではどんな「換算」が行われているのだろうか?

治五郎の場合は「平成3年=1991年」ということが、換算の基準になっている。例えば「平成14年? (え~っと、11年後だから1991+11=2002か)ああ、それは2002年ですね」という風に2、3秒の時間は要するが答えられる。それは「平成3年=1991年」に、何か忘れられない人生の大きな「画期」があったのではないかと思量される。(開陳するにやぶさかではないが始めると長くなるので、それはまた明日にでも)

おや、由紀ちゃん。「平成3年=1991年なら私が生まれた年です」って? そうかもしれないが今は何の関係もない話だから、しばらくどっか行ってて下さいね。(しかし由紀ちゃんって誰なんだ)

 

首を右へ30度、傾けて見る

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するとどういうことが起きるかというと、何事も起きない。

しかし、以下のようなことは誰にでも容易に想像できるであろう。すなわち、真上には「12」でなく「1」が来る。真下は「7」である。「3」の位置には「4」が、「9」の位置には「10」が来ることになる。

この数字を「~時」ではなく「~月」と読み替えるのである。すると8月中旬なら8月中旬で「今、自分は1年全体のどの辺にいるか」を目で理解できる。

治五郎の頭の中では昔から、この〝仮想文字盤〟が1年というものを視覚的に把握する方法であった。時計ならぬ「年計」とでも言おうか。これは「1年の計」を立てるべき元旦からスタートするのであるから、とても理にかなっていると言えると思う。 

時計の文字盤を(時計回りに、いや反時計回りになるか)30度傾けた「年計」が、いまだに開発・商品化されていない(らしい)のは不思議と言えば不思議である。

ワシがこの端倪すべからざる?着想を得たのは、東京・有楽町のガード下にある焼き鳥屋においてだった。ガード下という立地条件から狭い店は壁の片側が傾いていて、そこに座った客は首を右か左へ30度ほど傾けながら飲まなければならない。

よくしたもので、首を傾げると人間は物事を深く考える習性があるようだ。「年計」のような人類の知恵が生かされずにいるのは、もったいないことである。(鼻で笑うな)

 

 

映画「大魔神」における「神と日本人」

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1966年の大映作品だというから、ワシは中学生だった。ひとことで言えば「特撮を駆使した勧善懲悪の時代劇」ということになるが、こういうの好きやってん。

BSプレミアムでやっているのを見るともなく見ていたら、つい熱中した。ストーリーは極めて分かりやすい。良い殿様を悪い殿様と家老が謀殺し、領民に悪逆無道の限りを尽くす。良い殿様の息子と妹が立ち上がるが、とても勝ち目はない。

村には崇められてきた巨大な武神像があり、悪者どもはこれをも破壊しようとする。

大魔神」の画像を検索したら、どなたかは知らないが非常に分かりやすい画像=写真=をアップしてくれている。

普段は左の穏やかな姿(これは埴輪ですね。何を考えているのか……たぶん何も考えていない)なのだが、ひとたび怒ると右の恐ろしい形相(これは奈良・東大寺南大門の仁王像、特に阿形ではなく吽形の方をモチーフにしているに違いない)に一変する。

弥生時代古墳時代の「神」と、仏教が入ってきて鎌倉時代に大きな転換期を迎えた〝神〟との概念の違いを、この映画は考えさせようとしている。(そんなこと考えてもみなかったなあ、と映画を製作した人たちは言うかもしれない。いや、言うだろう)

ほとんどキレてしまって大暴れする大魔神だが、暴走を途中でやめさせたのは美少女(高田美和)の涙と、純真な子供の叫びだった。

美人と不美人の境目は今もよく分からないが「大魔神も、美人(の涙)には弱いものなんだな」ということを、かつて中学生なりに学習したものであった。

 

 

 

 

LEDというものが苦手な理由

 消費電力がどうとか身体や環境にどうとかいうメリット・デメリットの話ではない。自動車のライトも信号機も今はLEDの時代だそうだが、あの光が好きという人が多いんだろうか(多いんだろうなあ)。ワシは、はっきり言って苦手どころか大嫌いだ。

だって、あの光は冷たいと思いませんか? いや温度の問題ではなく、ヘビの目のような、あるいは薄笑いを浮かべて人を殺す人間のような、底知れぬ怖さを感じないのですか? なに、感じない? そこまで感じるやつはヘンだって? おい表へ出ろ!

ついでだから治五郎の苦手(実は大嫌い)な言葉をあえて駆使して言うと、LEDの光には「ぬくもり」がない。人との「ふれあい」を求める心や「寄り添う」気持ちとも縁のない光のような気がする。(これら太字の言葉が嫌いな理由は、また後日)

貧しかった昭和の社会を照らした裸電球=写真=は夜の市場や八幡様の縁日などに欠かせないものだったが、今はほとんど見られなくなった。(こういう話になると、平成の年寄りは「オイ若いの、ちょっとどいとれ」と、にわかに活気づくのである)

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LED(エル・イー・ディー)は発光ダイオードのことで「light-emitting diode」の略なんだそうだ。 LAD(エル・エー・ディー)は何かといえば、これはアメリカ・大リーグの有名チーム「ロサンゼルス・ドジャース」の略称だという。英語の略語の氾濫に、もう日本の老人はついていけません。

では、REDとは何でしょうか。これは「アール・イー・ディー」ではなく普通「レッド」と読んで「赤」という意味の英語です。(人をバカにしてないか)

 

テレビが伝える「街の声」の信用度

 

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いや「疑ってかかれ」などと言うつもりは毛頭ない。ごくまれに、捏造まがいの事件が発覚して首謀ディレクターが懲戒免職になったり、社長が交代したりするケースはあるようだが、TV業界がそれほど堕落しているとは決して思わない者であります。

テレビ局の実情をワシはよく知らないが、新聞社にいたから「街頭インタビュー」をした経験は何度もある。「え、読売新聞の取材? 俺はそんな悪いことしてないよ!」と小走りで逃げ去った若者もいた。(いま思えば下線部分、特に太字部分が気になる。もしも追跡していたら、何か特ダネにつながったかもしれない)

「今回の安倍改造内閣について、どう思いますか?」――在京マスコミは、なぜか「サラリーマンの声が聞ける聖地」として有名になった新橋駅前=写真=に押しかける。

こんな夫婦がいたとしよう。(また空想癖が始まったぞ)

夫は目立ちたがり屋で、会社の宴会では(誰も聞いてないのに)カラオケのマイクを離さないタイプ。妻は、かつて某テレビ局のAD(アシスタントディレクター)をしていたが、過酷な労働現場に嫌気が差して1年半で退職した。

夫「今日は新橋駅前でテレビの取材を受けたよ。あ、20分後には映るぞ。録画の用意は出来てるか?」妻「バカねえ、取材されたからってオンエアされるわけないじゃないの」。夫には申し訳ないが、これは断然、妻の方が正しい(なにしろ元ADだ)。

10人の通行人に片っ端から声を掛けたとしましょう。3人は手を振って逃げる。答えてくれた7人中、泥酔者や徘徊中の〝認知〟関係は除くとして、残る5人の中にも「差別語」を連発したりする人もいて、放送で使えそうなのは10分の1。

番組上、安倍支持派とアンチ自民系のバランスを取るためには、少なくとも40~50人に取材しなければなるまい。暑い日が続くが、テレビ局のスタッフ(特にADさん)には頑張ってもらいたい。

 

「はみだし者」のよってきたるところ

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自分史を出版するなんてことは考えてもみないが、他人様とはだいぶ変わった経歴を持っているようなので(特に後半生)、記憶が完全に消滅する前にブログで小出しにしておくことは必ずしも無意味ではないと思う。

1950年代後半、青森県内の幼稚園に(短期間だが)通った時期がある。先生が園児たちに「お昼の時間ですよ~。その前にすることは?」(実際は激しい訛りがある)と問いかける。「は~い、手を洗うことで~す」(これも訛ってる)と叫んで園児たちが、先を争って手洗い場に殺到する。ワシも4歳か5歳だったが、群れから離れて(浅ましい光景だなあ)と思った=写真は現代の、どこかの幼稚園のよい子たち=。だんだん幼稚園に行かない日が多くなり、やめてしまった。登園拒否の先覚者と言える。

少年時代は概して「よい子」「おりこうさん」と見られたようだが、それは世を忍ぶ仮の姿。アマノジャクとかヘソ曲り・ツムジ曲りとまではいかないが、みんなが右へ行くなら自分だけは左へ行きたいと思う性格で、今じゃ立派な?偏屈ジジイの名をほしいままにするに至った。ことわざにいわく「4つ子の魂64まで」(少し違うか)。

 

 

 

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自分史を書く気はないかって? ないね

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自分の〝歴史〟なんて治五郎の場合、当ブログのプロフィール欄に記した100字ちょっとで十分。全国津々浦々で、自分史をめぐる以下のような家族トラブルが発生しているのではないだろうか。ワシには経験がなくても、妙~に生々しく想像されるのだ。

おじいさんが、自分史=写真は範例=を自費出版したいと言い出す。老妻も中年の息子夫婦も高校生の孫も、みんなが反対する。「一体いくらかかると思ってるの?」と妻。「誰か読む人がいるとでも?」と息子。嫁は、心の中で(うちはローンも払いきれてないのに、おじいさんの葬式代が払えなくなるじゃない)。孫は孫で(そんな金があるんなら毎月、小遣いをくれてもよさそうなもんだけど)

しかし、おじいさんも年が年だから頑迷固陋である。「ワシゃもうオエン。長くはなかろう。財産なんぞ1円も残らんでええが(ここで一同、キッという目で老人を見る)、生涯に1冊ぐらい本を出すのをワシは昔からボッケー楽しみにしとったんじゃ」(はしなくもオエンとボッケーで判明した。この老人は岡山県人なのである)

もう長くないと彼は思っているが、そういう人に限ってあと10年も20年も生きることになるのが世の習い。まこと、人間社会というやつはままならぬ。

 

熱中症もダメだが、認知症はもっとダメだ

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誤解しないように。これらの症状に陥った人のことをダメだと言っているのではなく、コトバの問題なのだ。

「熱中」することや「認知」することを病気扱いするのは変だと思いませんか? えっ、どっちも変じゃない? 用法が違うだけだろうって? おい、表へ出ろ! 

「ご老体、落ち着け!」と後ろから羽交い絞めにされそうだが、日ごろは穏やかな治五郎も、こういう話題になると頭に血が上ることがある。(皆さん要注意)

それにしても認知症(患者のことじゃないってば)だけは許せん! 正しくは「認知障害」ではないのか。「認知+症」だなんて、少し前までの「痴呆症」や「ボケ老人」が人権上マズイということになって急に作られた新語なんだろう。

しかし、ワシ自身が直面しつつある(と自覚し始めている)のは「認知」ではなく「痴呆」の世界。いくら言い方だけ変えてみたって、ボケはボケなのよ。

ちなみに写真は木瓜(ぼけ)の花。なかなか美しい花じゃありませんか(実物を何度となく見たことがあるような気もするし、この写真で初めて知ったような気もする)。木瓜には名前からして親近感を覚えずにいられない。