お歳暮と私

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これがねえ、もらったことも贈ったことも(ほとんど)無いのですよ。むろん、自分で選んだ道ではあるのですが。お歳暮=写真(絵?)=は「虚礼」の典型だと思う。

「おお、ビールのロング缶が12本も!」「いやいやいやあ、高級海苔だ」と喜ぶ人が、どこにいるかってんだ。ネットで調べて「これは2400円ぐらいね」「こっちは3240円か」。2400+3240=5640円(より少し上)の出費を、この夫婦は覚悟するしかない。10人から届いたら、その10倍(+α)である。バカバカしいと思いませんか?

70代や80代の年金生活者も、この年中行事を繰り返している。無駄遣いではないか? 5万円も6万円もあったら、死なずに済む子供が世界中にどれだけいると思う? (ドン!) 半年に6万円だと年に12万円。10年続けたら120万円、30年続けたら360万円だ(国によっては小学校を建てられる)。

Aさんからは毎回ビールが届き、Bさんからは毎回、高級海苔が届く。こっちからは毎回、Aさんに高級海苔、Bさんにはビールを贈る。これが死ぬまで続く。

「日頃の感謝を伝えるため」だ? うそ言うな。もう何十年も会わず、顔も名前も覚えてないじゃないか。(ドドン、ドンドンドン!) ウッ、また血圧が・・・。

治五郎が20代で最初の結婚をした時(そう何度もしたわけではないよ。2回だけ)、仲人を務めてくれたS田という支局長がいた。昼行燈みたいなワシとは対照的な、いかにもブンヤ(事件記者)らしい人だったが、とてもいいことを言ってくれた。

 「世の中の義理というのは避けて通れないから、お中元とお歳暮は3年間、届けろ。ただしキリがないから、3年たったらキッパリやめろ。4年目以降は許さねえぞ」

3年でキッパリやめて以降、盆暮れの「付け届け」というものは誰にも一切、したことがない。S田さんは糖尿病の大先輩でもあって、確か今のワシと同じくらいの年齢で亡くなった。堅気の人とは思えない風貌が、懐かしく思い出される。

新明解国語辞典(第四版)における「動物園」の定義

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【動物園】生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。

これを初めて読んだ時の衝撃は、いまだに忘れられない。「確かに言えてるような気もするが、一般向けの小型国語辞書がそこまで言っていいものだろうか?」

上の語釈は1989年の暮れに発行された第四版(ワシに言わせりゃ新解史上の最高作)に載ったものだが、他の辞書が「旅」を引けば「旅行」、「旅行」を引けば「旅」と書いているのとは全く違う。「辞書の中の辞書」に惚れ込んだのだった。

第四版当時の編集主幹は山田忠雄(故人)という国語学者で、彼について語りだせば 何日もかかるから、今日はやめておく。(後日、語りだしたら大変だぜよ)

上掲写真を、よくご覧なさい。こんな、あられもない痴態をパンダはどうして人目に晒されなければならないのか。彼らにだってプライバシーがあるでしょう(ないか)。人権ならぬパンダ権というものがある(ないのか、ドン!)。

 「人間中心の施設」にワシは激しく感動した。ワイルドとかナチュラルとか、外来語はあまり使いたくないが「野性の雄たけび」と申しましょうか、あるいは「遥かなる山の呼び声」と申しましょうか。ここには安藤昌益(1703~1762)の大著「自然真営道」にも通じる深い思想・哲学が脈打っている。

版を重ねた新解さんは現在、第七版。動物園問題はどうなっているだろうか。

【動物園】捕えてきた動物を、人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として一般に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設。

う~む。山田忠雄の高邁な識見は確かに継承されているが、「狭い空間」「飼い殺し」「人間中心」などパンチの利いた魂の言葉が消えたのは、やはり寂しい。

 

当ブログの読者には、治五郎も及ばぬ新解さんファンが存在する。「あの辞書は、三版以前でも五版以降でもいけない。四版の新明解だけが本当の新明解だという事を、いつか世間に訴えてください」というリクエストをいただいた。泣いたね、ワタクシは。

 

 

 

72歳で死んじゃ早すぎるか?

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夕刊のコラム「よみうり寸評」を読んでいて「あれ?」と思った。はしだのりひこ=写真=を追悼しているのだが、こんな一節がある。

<活躍の陰で苦悩を抱えていたという。同年代の親友の自殺をひきずっていた。「10年間、だれとも打ち解けられなかった」と後に本紙の記事で語っている>

なんだか聞いたような、というか書いたような・・・そうだ! <本紙の記事>というのは22年前、治五郎が京都・伏見の自宅を訪ねて取材し、書いたのだ。「私のこの歌」という企画で、名曲「風」が生まれた経緯を聞いた時のことを思い出した。

今は新聞社の膨大なデータベースがあるので、「はしだのりひこ」と入力すれば明治時代から昨日までの関連記事が瞬時に検索できる(明治・大正時代に端田宣彦は生きていなかったが)。そりゃもう、引用し放題である。(書いた記者の許諾を得ろとか、100円でも200円でも支払うべきだ、などとケチな主張をするわけじゃないよ)

<72歳、枯れ葉舞う季節にもたらされた早すぎる訃報だった>とコラムは続く。

早すぎるかなあ。

宮沢賢治の37歳、夏目漱石の49歳、美空ひばりの52歳。この辺は、まあ「早すぎる」と言えるだろう。いま64歳のワシは、あす死んでも「早すぎる」とは全く思いません。

人生七十 古来稀なり(杜甫)。「古希」を祝うべきことととするのと「早すぎる」と感じるのと、どっちが幸せだろう。ワシは十数年前まで「医療技術の進歩」に問題があると感じてきたが、最近では「人間の欲」に目を向けるようになった。

秦の始皇帝は金も女も権力も名誉も思い通りになった後、晩年の関心を「不老長寿」という欲に集中させるしかなかった。ケッ、愚か者め。

「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」と言ったのは太宰治だが、治五郎は、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。

曰く、健康と長寿は不幸の本。

 

 

「か、け」「く」という会話

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青森県津軽地方の特異な方言を、分かりやすく(からかい気味に)表現した有名な言葉に「どさ」「ゆさ」がある。

「どこへ、お出かけですか?」「いやなに、ちょっとそこの銭湯=写真=まで」という会話が、ドサユサで通じるという点が都人には珍奇な印象を与えるのだろう。(津軽地方は寒いから、なるべく口を開かないのだという俗説には納得できない)

しかし、この程度で驚いていてはいけない。「か、け」「く」という会話がある。

「か、け」は「さあ、召し上がれ」であり「く」は「では、いただきます」だ。「か、き、く、け、こ」となれば、さすがに治五郎も通訳しかねる。

「け」や「く」は「食う」の読みに由来するというか、ガラパゴス諸島の動物のように独自の進化(退化?)を遂げた語尾の活用&省略の結果だというのが、ワシの推察だ。

「神奈川県ね」という言葉も、分解すると津軽弁の会話として成立しうる。すなわち「かなが(食べたらどうだ)」+「わ(私は)けんね(食べられない)」。

日本国には想像を絶する方言の世界が存在するのである。

 

 

 

 

映画「舟を編む」をタダで見る

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映画というものは映画館へ行って、お金を払って見るものである。当たり前のことではないか。この原則を踏み外すと、映画に関わった人々の諸権利が脅かされ、ひいては文化というもの全体の衰退につながりかねない。

と、治五郎は考える者である。著作権を無視した〝海賊版〟の横行には常々、心を痛めている。日本では著作権に対する理解が進んできたが、地球規模ではまだまだだ。海賊版、許すまじ! という正義の炎が、ワシの胸中ではメラメラと燃え盛っている。

ところがね、ユーチューブというのがあるでしょう。3~4年前の映画を300円払えば合法的に見られるようだが、無料でも全編を見られると知ったら300円を払う人はいるでしょうか? いません。

(おう、タダで見たともよ。悪かったな)

三浦しをん(の作品)に惚れたという話は9月だかに書いたが、闘病中の妹が「映画化されたもの=写真=も良かった」と言うもんだから、つい「非合法」な手段で見た。1冊の国語辞書が出来るまでを目で見ることができて、地味ながら出来のいい映画だ。

んーっと、この老俳優は誰だっけ。ほら、あの「砂の器」のピアニスト・・・あ、加藤剛だ。(思い出すまで所要5分)

んーっと、こいつはドラマ「深夜食堂」でいい味を出してたな。こ・・・こば・・・そうそう小林薫だ。(ここまで10分)

えーっと、この女優は確か日活ロマンポルノでデビューしたんだよ。い・・・いさ・・・伊佐山ひろ子だったか。(ここまで30分)

思い出すまでが大変で、2時間13分の映画はアッという間に終わった。主演の松田龍平オダギリジョー、宮﨑あおいについては、ほとんど何も知らないし思い入れもないけれど、それぞれの持ち味が出ていたと思う。(中国語の字幕が邪魔と言えば邪魔だが、コトバの勉強になると思えば苦しゅうない)

映画をタダで見ることへの罪悪感があるので、手で目を覆いながら指の隙間から覗くような気持ちで鑑賞した。いつ削除の憂き目に遭うか分からないから、その前に見とかんとあきまへんで旦那。(こういう場合に、どうしてワシは大阪弁になるんだろう)

 

 

いかりや長介と津軽弁の出合い

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 コメディアンとしてよりも役者として、治五郎が極めて高く評価していた人物がいる。いかりや長介(1931~2004)=写真=だ。日本の男優の中で、五指に入るとまでは言わないが17位ぐらいには入る。(微妙なところとはいえ立派なもんだ)

ザ・ドリフターズのリーダーだった時代から(この男は、シリアスな役をやらせたら面白いぞ)と、いっぱしの演出家みたいな目で見ていたんだが、果たしてそうなった。どこまでも人のいいオヤジ、人情味のあるベテラン刑事など、役柄の幅をどんどん広げていった。悪役をやらせようものなら、評価は17位から4位に跳ね上がる。

いかりや長介(以下「長さん」)は東京出身で津軽とは縁もゆかりもないが、以前テレビの〝旅番組〟で見たワンシーンが懐かしいので、脚本風に記しておこう。

青森駅前にあったリンゴ市場を、冷やかしながら長さんが歩いている。ある出店の前で足を止め、試食する。売っている婆さんが、つぶやいた。「スケベ」

長さんは戸惑った。(今の言葉は俺に向けて言ったのか?)

長 (自分の肩越しにサッと後方を確認するが、他に人はいない)「お・・・俺が?」

婆  「んだ。スケベ」

長 (一瞬、怪訝な表情を浮かべ、それからムッとした顔つきになり少し考える。やがて観念したように気弱な笑みが浮かんで不承不承)「う・・・うん、そりゃまあ」

( )内の表情の変化が2~3秒の間に演じられる。(演技なのかどうかは不明)

 

婆さんは、津軽弁で「酸っぱいでしょう?」と聞いたのである。津軽では往々にして語尾を上げずに質問することがあるので、断定しているように聞こえる。長さんにとっては、それが悲劇の元であった。だめだこりゃ。

 

 

 

「仕方ないこと」と「詮ないこと」

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【仕方無い】㊀対処の方法がなく、そう▹する(なる)のを認めざるを得ない様子だ。(もう、いちいち出典は書かないよ。よほどのことがなければ全部、新解さん

「仕方ない」という言葉が、治五郎は昔から嫌いではない。内田百閒は、無目的な旅先の不愉快な出来事(地元の新聞記者が取材に来たり、女中さんの気が利かなかったり)を「やむを得なければ、すなわち仕方がない」で乗り切った。

人生は全般に「仕方無い」ものではないだろうか(ねえ、日馬富士関)。引退は、仕方のないことだったと思う。

本人も親方も被害者(貴ノ岩)も、内心ではこう思っているはずだ。「あの記事(スポニチ)さえ出なかったらなあ。手打ちは、とっくに済んでたのに」。しかし、そう思うのも今となっては詮ないことである。

【詮無い】それをすることによって▹得られる(報いられる)事が何も無い様子だ。

 

二月、四月、六月、九月、十一月には31日がない。これを、昭和時代の子供は「西向く侍、小なり」と覚えたものだ(侍は「士」で11)。昔の人は賢かったなあ、と感心しているうちに今年も師走に入った。ジングルベルが、うるさい。

11月の最終日は、恵比寿の画廊で加藤龍勇画伯の個展を見に行き、あろうことか気に入った作品を一つ買ってしまった。その足で吉祥寺の「原荘介リサイタル」へ。主役はもちろんだが、ゲストの加藤登紀子の歌にも大いに感動させられた。

やはり画家は絵がうまく、歌手は歌がうまい。プロなんだから、あたり前田のクラッカー。(ちょっと古すぎるか)

〝元横綱日馬富士の描いたプロ級の絵を添えておくとしよう。今となっては言っても詮ないことだが、ワシの大好きな相撲取りだった。

 

 

 

 

なもまんだなんぼほんずねばな!

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「おい治五郎、大丈夫か? いま何と言った? とうとう脳をやられたか?」

「いや、まだ大丈夫です。今後ときどき、本州では一、二の難解さを誇る『津軽弁』の講義をしようと思っているので、今回はその導入部にあたります」

「今この時、日馬富士の引退について何も言わなくていいのか?」

「明日の朝、八角さんや伊勢ヶ浜さん、貴乃花さんと相談してからにします」(ウソ)

 

タイトルに掲げた14文字はどういう意味か、そもそも意味なんてあるのか? と思う人がほとんどだろう。しかし、青森県津軽地方=写真左は〝津軽富士〟岩木山=に生まれ育った人で、これが分からなかったらモグリである。津軽出身者なら歌手の吉幾三五所川原市)も大相撲の伊勢ヶ浜親方(つがる市)も安美錦深浦町)も、意味が分かるばかりではなくスラスラと正確に発音できるのである。

14文字を分解してみよう。「な+も+まんだ+なんぼ+ほんずね+ば+な」となる。

「な」は「汝」、「も」は「も」、「まんだ」は「また」、「なんぼ」は分かるよね。「ほんずね」は「ほんず+ね」に細分化できるが「愚かである」、「ば」と「な」は助詞。全文を共通語に翻訳すると「お前もまあ、なんてバカなんだよ!」となる。

泥酔して財布を失くした息子を、親がののしったりする時によく用いられる。もしも暴行事件を起こしたのがモンゴル人の日馬富士ではなく、津軽人の宝富士や安美錦だったら、トイレなどで会った時に親方は「なもまんだ・・・」と叱ったに相違ない。

「これが同じ日本語か?」と感じるだろう。早口で言われたら、もうほとんど外国語である。津軽人はバイリンガルでないと生きられない。その精神的負担、重圧たるや推して知るべし。聞くも涙、語るも涙の過酷な宿命を背負わされているのだ。

 

昔、「ブルースの女王」と呼ばれた歌手・淡谷のり子(1907~99)=写真右=が出演したコマーシャルに「たいした たまげだ」というのがあった。「とてもビックリした」という意味だが、その文法構造を解析してみる時、人は青天の霹靂のごとき驚愕を覚えないわけにはいかない。「共通語とは文法までも違ってる!」と。

「大した」というのは連体詞であるから「大した男」「大した度胸」のように、必ず体言(主に名詞)に続かなければならない。「たまげる」という動詞(用言)に続くことがあってはならないのだ。嗚呼、それなのにそれなのに。

 

・・・ずわげだはんでろ~、津軽弁ごとばずっぱど勉強さねばまいねや(というわけだからさ、津軽弁をしっかり勉強しなきゃだめだよ)。あ、もう誰も聞いてない!

 

 

 

「万歳」の謎

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治五郎は「万歳」というものが苦手である=イラストは「グリコ」のロゴマーク=。皆と一緒に(しかも一斉に)同じ言葉を発したり、同じ動作をしたりすることに生理的な嫌悪感があるからだと思う。

会社の送別会などで否応なく一緒にやらされた経験はあるが、そのたびに何か「おてんとさまに顔向けできない」的な後ろめたい気持ちになったものだ。この感情の因って来たるところのものは何か? 万歳の周辺を考察してみよう。

感動詞としての「万歳」について、新明解国語辞典が記すところは次の通りだ。

[ 両手を勢いよく上げる動作を伴って ] 祝福の意を表わす時、また勝負に勝った時(おおぜいで)唱える言葉。

「勢いよく」と「おおぜいで」に、相変わらず新解さんの親切さがにじんでいる。両手を緩慢に上げたり、2~3人で唱えたりしては「万歳」の要件を満たさないのだ。

 

大相撲九州場所の千秋楽で横綱白鵬が、優勝インタビューの最後に観客を煽って万歳三唱をしたことが案の定、物議をかもしている。

彼の万歳は新解さんの要件を満たしているのだが、いかんせん、日本国においてはTPO( time・place・occasion )を弁えない行動だった。満員の観客も、勢いに乗せられて万歳したものの(なんか変だな)と感じた様子が顔色に出ていたように思う。

ワシのモンゴル人妻(モンゴルの人妻ではなく、モンゴル国籍の妻)によると、モンゴルにも万歳に相当するものはある。が、それは「ウラー!」といって社会主義時代、目上の同盟国・旧ソ連から直輸入されたものらしく、普通は両手を勢いよく上げる動作を伴うこともないようだ。北朝鮮の「マンセー!」の方が、日本の万歳に近い。

日本民族のヘンなところは、(三三七拍子などもそうだが)「では、せ~の」と言われると前後の見境もなく唱和してしまうこと。反射的付和雷同体質とでも言おうか。

そういえば、国会解散時の「万歳」も腑に落ちない。「これで、タダの人になっちゃった。もう議席には二度と戻れないかも」という瞬間に、なぜ万歳を唱える必要があるのか? ウィッキー先生(本名・ウィキペディア)などは諸説を紹介しているが、それでも謎は氷解しない。次代を担う若い優秀な「万歳研究者」の出現を望むや、切。

「死亡報知器」の普及を提言する

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「三人寄れば文殊の知恵」という。今月のサンド会(18日)には9人が参加したので、文殊菩薩が3人いるのと同じことになる。優れ物のアイデアが飛び出した。

それは「死亡報知器」=写真は火災報知器=だ。

まず「生体反応感知器」を腕時計のように24時間、体に装着して暮らす(入浴時なども外してはいけないので、防水仕様は必須)。遠くにいる肉親(天涯孤独の場合は警察や病院、民生委員の自宅)など、しかるべき個人や機関・施設に登録して二つの機器が連動するようにセットしておく。

装着者の生体反応がなくなると同時に、報知器が点滅または点灯する。何か音も鳴った方がいいというのであれば、非常ベルはあまりに無粋だから「モーツァルトのレクイエム」あたりが望ましいのではないかと愚考する(ふざけているのではないよ)。

技術的・経済的に、それほど難しいことではなさそうだ。〝ひとり死〟というものが増えた現在では、「自分が死んでも気づかれないのではないか」と不安を感じている人が多い。突然死ということもあるし、配偶者や同居人がいても、常に一緒にいるわけではないだろう。この装置があれば、誰よりも本人が安心できるのではないだろうか。

どうですか、そこの自治体。敬老の日に配る祝い品としても、一人暮らしの老人には最適だと思うが。行政はテキパキと動かにゃいかんぜよ。

うむ、今日は珍しく建設的で世の中の役に立ちそうな提言をさせてもらったわい。