「先立つ不幸」と書く不孝

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自殺する青少年が、親に宛てた遺書に「先立つ不幸をお許し下さい」と書くケースがある。治五郎の子が書いたものではないが、そんな文章を現に見たこともある。T田M子とかいう元国会議員みたいに「ち・が・う・だ・ろ~⁈」と叫びたくなった。

心を込めた大事な遺書である。読んだ親は、悲しさよりも恥ずかしさが先に立つのではないだろうか。「ああ、不幸と不孝の違いも教えていなかった私が情けない」と。(しかし案外、この親も不幸と不孝を書き間違えたりしているものだ)

【不孝】子として親を心配させたり悲しませたりする▵こと(行い・様子)。「先立つーをお許しください/親ー/・ー者」↔孝行

沖縄の「知覧特攻平和会館」=写真=に行くと、20前後で死んだ特攻隊員の遺書がドッサリ残っている。「おらが死んだら何人泣ぐべ」という、青森県出身の二等兵が田舎に書き送った葉書には胸が詰まった。

特攻隊の「自爆」成功率は、イスラム過激派より高かったろう。あれから「もう」72年なのか「まだ」72年なのか。(そんなことを「まだ」64歳のワシに聞くんじゃないよ、当ブログを最近読み始めたという高2の男子)

結局、何が言いたいのかというと・・・

幼時から英語に親しむのは悪いことではない。が、最後の最後に「不孝」を「不幸」と書いてしまっちゃあ人生、台無しではないか。国語と漢字は大切にしましょう。

 

何に倚りかかっているのですか?

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治五郎は今年の正月も、初詣=写真=には行かなかった。そろそろ罰が当たってもいい頃だと思うんだが、なかなか当たるものではない。

富岡八幡宮だけは少しアレだったようだが、ほかの神社仏閣は例年通り、ご利益を求める人々のお陰で賽銭収入というご利益に恵まれただろう。

ところで写真は明治神宮らしいから、この人々を善男善女と呼ぶことはできない。

【善男】仏法に帰依した男性。「-善女〔仏法を信じる(多くの)男女〕」

善男善女は仏教信者に限定され、神道の信者はあっち行けシッシッの世界なのである。いわんやキリスト教イスラム教に於いてをや。

宗教たるもの、そんな狭い料簡でいいのか。(ドン!)

 

詩人・茨木のり子(1926~2006)は「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」で知られるが、73歳だかで書いた「 倚(よ)りかからず」が、いい。

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
 (中略)
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ

 

ワシは今年も、椅子の背もたれ(と妻の稼ぎ)に倚りかかって生きる所存であります。

〝文症〟という奇病について

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「治五郎はんは、ブログを1日も休みまへんな。失礼ながら質量ともに大した内容とは思えへんけど、毎日書くことにストレスを感じることはありまへんのか?」

「へえ、そこですねん。ストレスは、ま~ったく感じまへんのや」

これは「文症」とでも称すべき、かなり難しい病気の一種なのである。

ワシが発症を自覚したのは、高校2~3年の頃。剽軽なことを言ったり物真似をしたりして級友を笑わせる能力が全然ない代わりに、文章でそれをやることにとりつかれたのだと思う。発揮すべき場所は、もっぱら「学級日誌」だった。

例えば、前夜に放送された「巨人の星」(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)=絵=について、主人公の「飛雄馬」を引き合いに出して「ヒューマニズム」とは何かというような議論を強引に展開する。

いま思えば内容はバカバカしいものだったに違いないのだが当時は、授業中に回し読みしているクラスメート(特に女子)がクスッと笑う気配を感じると、ゾクッとくる快感を覚えた。憎からず思っている娘がプッと噴き出して先生に一瞥されようものなら、天にも昇る心地がした。

日誌の当番が回ってくると徹夜なんか平気。こうなると、もう「性癖」を通り越した立派な「病気」だろう。あれから50年、ワシはこの奇病から常に逃れられなかった。

とにかく何か文章を書いていないと落ち着けない「文症」。新聞記者になったのも、思えばこの奇病のせいだった。特ダネを書きたいとか大所高所から物を申そうとかいう気持ちは皆無。社会正義? そんなもん、ありますかいな。(すんまへんな)

文化部の中堅記者になって読書面を任され、今も続いている「本 よみうり堂」を始めた際に、読者の投書を募って初代「店長(おやじ)」が文章による掛け合いを演じることにしたのにも、実はそんな背景があった。

退職後は中断していたブログを再開して以来、何のストレスもなくなったことに、これで納得してもらえますやろか。

 

新聞とマンション

f:id:yanakaan:20180103060540j:plain ©植田まさし

兵庫県だかで、住民同士の挨拶をやめようと取り決めたマンションがあるという。子供に「知らない人から挨拶されたら、逃げなさい」と教えている親たちの要望が通ったんだそうだ。恐ろしい時代になったものである。

治五郎のマンション(賃貸の1DKですが)は、まだそこまでは行っていない。2階のH川さん(70、♀)や5階のS藤君(倉庫会社勤務)とは、よく立ち話をする。

11世帯のうち、ワシを除けばすべてが一人暮らし。(ワシはH川さんに次ぐ高齢で1階に棲息しているので、よく管理人と間違われる)

ワシ以外に新聞を購読している人は、ゼロだ。読売新聞=絵は連載漫画「コボちゃん」=の印刷工場が近いこともあって、朝刊も夕刊も3時過ぎには配達される。配達員によると「他紙も含めて、新聞を読む人の入居は久しぶり」だという。いやはや。

新聞離れは、ネットの普及が大きな原因と言われる。どの新聞にも載るようなニュースは大体、印刷・配達される前にネットで読める。ワシも、A紙やM紙やスポーツ紙の主だった記事はネットで読んでいる。

そもそも日本の人口が減りつつあって、「親の代から〇紙を読んでいるから」と慣性で取り続けてきた高齢者は次々と〝お迎え〟が来て消えていく。新聞各社は「子供のうちから新聞を読む習慣をつけてもらおう」と知恵を絞り、それなりの成果は見られるようだが、全体の流れは押しとどめるべくもない。

速報性ではテレビやネットに全く敵わない新聞の値打ちは、まず「一覧性」だろう。パッと開けば「大体のことが視覚的に把握できる」のだ。しかし、特ダネや優れた解説・コラムなどはネットで公開してタダ読みされちゃ、やはりアレ(損)だから公開したくない。そこに新聞のジレンマがある。

多事多難な時代が加速する新聞業界。OBとしては気が揉めるけれども、やむを得なければ即ち仕方がないのであった。

2018年の漢字(治五郎版)は「腺」か?

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 なんだか覚えにくい名前の映画監督だったな。トルナラトッテミーロだっけ? いや、そこまで変わった人名ではない。そうそう、トルナトーレだ。

イタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)=写真=をBSで見た。もう何度も見て「新シネパラ」と略称で呼んでいるくらいだから、次の展開がどうなるかは分かっているのだが、それだけに、始まって5分もするともう泣けてくる。

「ははあ、こんなところにこういう伏線が張ってあったか」とか「なるほど、このシーンはチャップリン映画のあの場面を思い出させようとしているのか」という風に、いくらでも新しい発見があるのだ。

映画というものの魅力をテーマにした映画には、邦画だと「蒲田行進曲」や「キネマの天地」があるが、やはり泣ける映画(とパスタ料理)はイタリア製が一番のようだ。

正月のテレビがありがたいのは、B級ではない昔の名画を次々と見られること。黒沢明の「七人の侍」ほか前期の傑作群や、洋画では「タイタニック」なども同じ調子で「ははあ!」「なるほど!」と(悲しくない場面も)涙にむせびながら見た。

涙腺だけではなく鼻も口も下半身も、およそ腺という腺が緩んできていることを年と共に自覚させられる。1年後にはどうなっているんだろう? 頭が「朧」になった上、体の「腺」が閉まらなくなったら・・・。

これはもう「鬼に金棒」とでも申すほかありませんよ。

 

 

 

元旦から言葉にこだわる

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もちろん、伴侶は新明解国語辞典新解さん)だ。(嫌な人はどっか行ってなさい)

【拘る】㊀他人から見れば▵どうでもいい(きっぱり忘れるべきだ)と考えられることにとらわれて気にし続ける。「▵自説(メンツ・目先の利益・枝葉末節)にー」

目先の利益などは、きっぱり忘れるべきものなのだ。治五郎は昔から「拘る」をそういう意味に解してきたから近年、幅を利かせている「こだわりの味噌味!」なんちゅう表現には腹を立てているのだが、さすが、新解さんの説明には続きがあった。

㊁他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。「カボチャにこだわり続けた画家/▵材料(鮮度・品質・本物の味)にー」〔㊁は、ごく新しい用法〕

社会を映す鏡=鑑たるべき国語辞書の面目が、この語釈には躍動している。

しかし、カボチャ=写真=にこだわり続けた画家って誰だ? 新解さん草間彌生のファンだったのか? 新年早々、ちょっと分からなくなってきました。

 

2017年の漢字(治五郎版)

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 それは、おぼろ月=写真左=の「朧」です。

【朧】〔輪郭などが〕ぼんやりと かすんでいる様子。「月が―にかすむ/記憶がーになる」 【朧気】全体像はなんとなく分かるようだが、核心や細部は明確に把握出来ない様子。「-ながら理解出来る」

【朦朧】もやもやとしていて、▵正体(実体)がよくつかめない様子だ。「記憶がーとする/意識ー・酔眼ー〔=正体なく酔っている形容〕・ー〔相手次第で不当な料金を要求する〕タクシー」

へえ、「朦朧タクシー」は知らなかったなあ。

「明日から来年で、来年の干支は戌(犬)だ。そのくらいは知ってる。馬鹿にするな。ところで今年の干支は何だったっけ?」 そうなると記憶が朧なのである。朦朧としているから子・丑・寅・卯・・・と数え直すハメになる。 「あ、酉だったのか」

 

〽としをとるのはステキなことです そうじゃないですか

 忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

中島みゆき「傾斜」が耳の奥でBGMとして常に鳴り響く1年であった。明日以降、これに拍車がかかることは間違いない。

ええ、餅論です

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嫌いな食べ物が一つもない、という話はすでに何度かした。ただしタコ焼きなどの「丸まり系」や、お好み焼きなどの「広がり系」には食指が動かないという話もした。

もう一つ、年中行事に絡んで「食べて当然」とされる物が治五郎は苦手である(味が嫌いなのではない)。おせちや雑煮=写真=など、正月の定番料理に対して心理的な抵抗がある。(何の因果でワシはこのような性格に生まれついたのだろうか)

今と違って丈夫な歯を持っていた子供時代から、正月になると「また餅の季節か」と少々ゲンナリしたものだが、モチろん、年を取れば変わるというものではない。

知る人は少ないが、祖父の代までは青森県の温泉街で老舗といえる餅屋だった。経営者の長男の長男だから、世が世であればワシも餅を作って一生を過ごしていたはずだ。それが何か「餅」への感情に影響しているのだろうか。(たぶん全く関係ない)

餅と虚心坦懐に向き合えない背景には、言葉の問題もあるような気がする。

尻餅をつく。焼き餅(嫉妬)を焼く。餅を使った言葉には、どこかに好ましくない要素が含まれる場合が多い。好もしいのは餅肌ぐらいのもんだろう。

ところで「好ましい」と「好もしい」の違いを知ってますか?

【好ましい】そのような▵状態(存在)をためらうことなく受け入れることが出来る様子だ。「ー結果/好ましくない人物」

【好もしい】どんな点から見てもこのましい印象を与える様子だ。

焼き餅は好ましくない。餅肌は好もしい。という風に使い分けるのが正しい様子だ。

 

できる挨拶、できない挨拶

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おかしなもので、治五郎には昔から挨拶というもの=写真=の内容に得手・不得手がある。難易度別にA・B・Cと分類してみよう。

A「いただきます」「ごちそうさま」・・・これはワシでも朝飯前だ(朝飯は長年、滅多に食わない習慣だが)。

B「初めまして。よろしくお願いします」「お久しぶりです。お元気ですか?」・・・この辺になると、やや抵抗がある。人に会う仕事だったから毎日、口にしていた言葉だし、むろん言えないことはないのだが、常に少し無理をしている自分がいる。

C「良いお年を!」「明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」・・・これを言うのが苦痛でならない。現役時代の年末年始には、なんとかして言わずに済ませられないかと苦慮したものだ。因ってきたるところのものは何か?

最近の考えでは、この挨拶が「風物詩」の一翼を担っているからではないか。誰もが言わざるを得ない〝時節もの〟であるところが、ワシは苦手なんだと思う。

高浜虚子に「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」という有名な句があるが、いろ~んな解釈があることをネットで教えられた。1月1日の午前0時を境に区切られる去年と今年の間に、いったい何があるのか? てなことを考えさせてくれる。

難易度Dの挨拶もある。「このたびは、ご愁傷さまです」

本当に悲しんでいる人の前で、面と向かって言えるような言葉ではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

避けられぬもの 「再発」と「風化」

f:id:yanakaan:20171227163054j:plain f:id:yanakaan:20171227202400j:plain©赤塚不二夫

 

【再発】治まっていた病気や二度と起きてほしくない事件・事故などが、また起こること。

何か大きな事件・事故が起きると、謝罪会見に出てきた社長や責任者が、判で押したように言いますね。「二度と同じ過ちが起きぬよう」とか「再発防止に全力を」とか。

そう言うしかないという立場は察して余りあるが、これは「いつかは同じことが必ず起きるでしょう」と言っているに等しい。どんなに気をつけても、間違いを犯してしまう唯一の動物、それが人間というものなんだから。

「二度あることは三度ある」と、ことわざに言う。再発が防止された実例を、アナタは一つでも知ってますか? 「再発防止」の類を治五郎は〝建前語〟と呼んでいる。

【風化】空気中にさらされた岩石が次第にくずれて変質する現象。〔新鮮な記憶・印象が、年月を経て薄れる意にも用いられる。例、「戦争体験の-」〕

「風化させてはならない」も建前語である。ヒロシマナガサキ、オキナワの体験を風化させてはならない! とはワシだって思う。(今でもアメリカを許せん)

 しかし、ことわざに「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と言う。悲惨な記憶も必ず風化する。

「昔なあ、応仁の乱=絵左=いうのんがありましてん。京の都が焼け野原になりましたんどすえ。あないなこと二度と許せまへん。風化させたら、あきまへんで」

応仁の乱は風化しました。太平洋戦争の体験が200年も300年も風化しないはずがないではありませんか。(その間に人類が滅びるとワシは思うが)

ことわざという、民衆の知恵と歴史に裏打ちされた〝本音語〟の前で建前語は、あまりに無力である。しかし、バカボンのパパ=絵右=ではないが「それでいいのだ!」