「持たざる者」の高枕

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かつて治五郎が埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)の分譲マンション「Gシティ」に居住していた頃、近所にゴム会社で財を成したらしい社長の豪邸があった。

敷地面積はそれほどでもないのだが、邸宅の周りを囲んだ高い塀の上に、50センチほどの巨大なクギによる「忍び返し」=写真左=が張り巡らしてある。どんな金銀財宝を蓄えているのか知らないが、資産家というものは、ここまでしないと安心して眠れないのかと驚き、呆れ、寒々しい思いに捕らわれた。(哀れなものよのう)

以来「よし、ワシは財産家にだけはなるまい」と肝に銘じ、その望み通りに生きて今日に及んだ。(決して負け惜しみや強がりじゃないということを理解したまえ)

今の賃貸1DKに暮らしていると、物を盗まれたりする心配が全くない。無い袖は振れないので、詐欺に遭ったり強盗に押し入られたり、空き巣に狙われたりする可能性がゼロ。狙った輩は、己の不明を恥じて後悔するしかない。こっちは高枕だ。

【高枕】〔枕をしない不安定な状態と違って、枕をして安眠する意〕㊀〔敵の来襲や不時の事態に備える、着衣のままの仮眠状態と違って〕寝間着に着かえ、枕をして、気を許して寝ること。枕を高くする。㊁(日本髪を結った時にする)高く作った枕。

写真右は㊁と思われるが、ワシは日本髪を結うことがないので、ここでは㊀の意。寝間着に着かえる習慣はないが「着衣のまま気を許して」グッスリ寝ている。

枕は、もちろん高い方がいい(値段の話ではない)。理想を言えば女の腰ほどの厚みがあって、なるべく硬い枕がいいのだが、なかなか手に入らないから普通の枕を二つ重ねて使っている。酒さえ足りていれば必ず熟睡できる。

ワシが私淑(というより崇拝)する内田百閒先生は、戦災で焼け出され掘っ立て小屋で暮らした後は、三畳間が三つだけの〝三畳御殿〟を自宅とした。自ら号して曰く「夢獅山房(むしさんぼう)」。夢獅山=無資産である。

「何も持っていない」という境遇が、安心・安全に最も近い。これは、不肖・治五郎が先人の知恵と自身の経験を通じて学び得た真理であります。

 

白虎隊とW杯の間に何があるか

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「最近の治五郎は平気でブログを休む」「飽きてきたのだろうか。書くのが大変なほどの内容には見えないが」「ついには『死んだふり』までするようになった」

いや、違いまんねん。まあ聞いとくんなさいまし。

先日のW杯、日本・ポーランド戦=写真左=の終了後、案の定「負けるが勝ち」のパス回し作戦を巡って賛否両論が巻き起こった。意外なことに、国内では容認・支持派が多いのに対して海外メディアは「サムライらしくない」と厳しい声が目立った。

 ここは一つ治五郎の出番だろう。構想を暖める〔=もっとよくするために、発表しないでおく〕こと2~3日、会津藩の「白虎隊」=写真は古い映画のポスター=まで引き合いに出し、普段の2~3倍の行数を費やして問題の本質に肉薄したのだが・・・。

記事を公開する段になって手元が狂い全文、消えてしまった。(待てよ、慌てるな。何か、消したものを復元する方法があるんだ。どのキーを押すんだったか・・・)

それが、分からない。まあいいや、ひと眠りしたら少しずつ思い出して書き直すか。そう思ったが、そんな作業ほど虚しいものはない。賽の河原の石積みみたいなもんだ。

【賽の河原】死んだ子供が父母供養のため小石を積んで塔を作るといわれる、三途の川の河原。積んだはしから鬼が崩すという。【ーの石積(み)】むだな努力のたとえ。

ひと眠りして起きたら、素面に戻っていることではあるし暑さは暑し、すっかり気持ちが萎えてしまった。

最近は時間の過ぎ方がブラジルやベルギーのFW陣の速攻より早いもんだから、見なさい。気がついたら日本はベルギーに2-3で逆転負けしているし、桂歌丸師匠はとうとう死んでるし、タイの奥地で洞窟から出られなくなった13人の子供らは、奇跡の生存が確認された。もはや日本・ポーランド戦などニュースでも何でもないのだ。

 それにしても、W杯と白虎隊の相関関係について、ワシはどのような論理を展開してどんな結論に至ったのだったか? 逃がした魚は大きいのである。

「ブログが何日も更新されてない。何か事情が?」

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 (妻より)「夫の治五郎は糖尿病の急激な悪化により逝去しました。常々、数少ない読者の皆さんに『よろしく』と申しておりました。(真っ赤なウソで~す)」

【真っ赤】赤以外の何物でもない様子だ。「恥ずかしくて顔がーになる/ーになって〔かんかんに〕怒る/ーな〔=まぎれも無い〕うそ

ワシが敬愛してやまない新明解国語辞典ではあるが、この項の説明は完璧とは言えないと思う。

【真っ黒】黒以外の何物でもない様子だ。

【真っ青】青以外の何物でもない様子だ。

それぞれに適切な用例が付記してある点はサスガだが、なぜ「真っ赤なウソ」があって「真っ黒なウソ」や「真っ青なウソ」はないのか? そこを、日本語勉強中の外国人に突っ込まれたら、どう答えるべきか。新解さん、考えといて下さいよ。

 (それは頼りにされる国語辞書にとって、義務以外の何物でもない様子だ)

審判の存在意義

f:id:yanakaan:20180628103715j:plain ②f:id:yanakaan:20180628103755j:plain ③f:id:yanakaan:20180628103848j:plain

スポーツにおける「審判」というものの位置が、治五郎にはよく理解できない。柔道=写真①=にしろサッカー=写真②=にしろ、この人たちは何をもって人生の喜びとし、生きがいとしているのであろうか?

本人がオリンピックでメダルを取ったとか、W杯で得点したとかいう経験があるわけではなさそうだ。高給取りが多いとも聞かないし、競技によっては選手と同等の体力が求められる。割が合わないではないか。

しかし、彼らの立ち居振る舞いが実に毅然としていて、自信に満ちている。まるで「私の目に狂いはない」「私自身がルールブックだ」と言わんばかりだ。

とは言え、人間であるからには「間違い」を避けられない。そこで、どの競技でもビデオ判定の導入が進んでいる。サッカーW杯では今回からVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)というものが登場して結構、出番が多い。

VARだなんて、日本の老人にとってはまた一つ、覚えなければならない横文字の略語が増えて難儀なことである。これによって判定が覆るケースが少なくないところを見ると、従来いかに誤審が多かったかが想像できる。

ビデオ判定の普及は喜ばしいことに違いない。ただ、ワシが人類の未来のために心配しているのは、そのうちに失業者が増えるのではないかということだ。

駅の改札が自動化したことによって、切符に鋏を入れる駅員=写真③=という仕事が激減した。今や都会は自動改札、田舎のローカル線は無人駅という二極分裂が日本全土を覆っている。鋏を奪われた駅員はどうすればいいのだ! (ほかの業務があるか)

自動運転が当たり前になれば、運転手という職業人が減るのは目に見えている。スポーツの審判も、ビデオ判定が優先されるようになると、人間は最初から不要という日が来ることにならないか?

炎天下、汗かきベソかき今日も走り回るサッカーの審判諸君を見るにつけ、ワシは彼らの労を多とし、その将来よ安かれと祈り憂えるものである。

実は不眠症と無縁な私

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治五郎は「睡眠」=イラスト=で苦労したことがない。夜中に「寝苦しいな」と思うことはあるが、それは酒が足りないからに決まっているので、焼酎を2合も飲めば問題はたちどころに解決する。

若い頃から、会社のソファで昼寝するのが得意だった(素面でだよ)。枕などは不要。首の後ろ下に広辞苑か何か、分厚くて硬い物が当たっていれば、部屋が明るかろうが周りがうるさかろうが、短時間で熟睡できるのだ。

ここ3週間ほどモンゴルから義妹が来ているので、夜は「川の字」になって寝ているのだが、並び方によっては世間の誤解を招きかねない(思い過ごしか)。それで、妻と姉の立場を兼務する責任者が真ん中に寝ている。

W杯の最中で、ワシはテレビに最も近い場所でかじりつきたいのだが、それだとトイレに立つたびに二人の女を踏み潰しかねない。ボールの所在や選手の顔はよく見えないが、3等席で音のボリュームを最小にして(もちろん叫んだりせずに)観戦している。今は韓国・ドイツが0-0で前半を終えたところ。

よくしたもので、この姉妹は寝つきがいい。韓国が攻め込もうがドイツが守り切れなかろうが、ひとたび眠れば「我関せず焉」。いいぞ、その調子その調子。

えん【〈焉】〔終助詞的に〕漢文訓読調の文の末に置いて、言切りの意を強める語。「我関せずーという〔=自分は全く関知しないんだという態度を取る〕人ばかりだ」

(補記)前回優勝のドイツが0-2で敗れた。Ach!(アッハ=英語だとOh!)

時差ボケ老人

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【時差】㊀地球上の二地点における時刻の差。〔時刻として、各地点の地方時を採用すれば、時差は、経度差一五度差につき一時間。実用上は、それぞれの地域の標準時を採用する〕「東京とパリのーは八時間/ーぼけ」

ぼけ【〈惚け】㊀ぼけること。「いよいよーが来た/寝ー」㊁何か他の状態が長く続いたあと、しばらくの間 元の通りには頭が働き出さないこと。「連休ー・時差ー」

時差ボケというものは、飛行機に長い時間乗らなければ避けられるというような生易しい問題ではない。寝るべき時間に起きている状態が何日も続くと、誰でも居ながらにして時差ボケに陥ることが出来る(というか、陥らざるを得ない)。

「いよいよーが来」ているというのに、W杯は面白い試合に限って(日本時間の)午前3時から始まるもんだから効果てきめん、ボケに拍車がかかってきた。ボケ老人が時差ボケになったらどうなるか? 「時差ボケ老人」になるのは自明の理だろう。

地球は丸い=写真=ということの不都合な真実を、こういう時ほど実感させられることはない。今はフランス ✖ デンマーク戦をやっているところだが、日付が変わって3時になればアルゼンチン ✖ ナイジェリアだ。どうしてくれる?

 

ディフェンダーの意訳(?)

 

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<試合後の日本人サポーターによるスタンド清掃が注目を集める中、この日はセネガル人サポーターも一緒にゴミ拾いする姿が見られた。

日本人の清掃活動については、英国メディアが23日の記者会見で「日本ファンはなぜ掃除するのか」と質問。DF吉田麻也(29)は「日本には『来た時よりも美しく』との言葉がある」と説明した。>(読売新聞夕刊より)

いい話である。いい話なのだが・・・日本には「来た時よりも美しく」なんていう言葉があったっけ?

吉田麻也は何か勘違いしたのではないか? =写真左は、タレントの東野幸治という全くの別人。勘違いしたうえ、確認が不十分でした=

治五郎が他人様の顔と名前を取り違えるのは、今に始まったことではない。しかし日本語にはうるさい方なので、自分の知らない言葉が日本独特の表現として世界中に拡散するとなれば心中、穏やかではいられない。「来た時よりも美しく」かあ。

何か、よく似た言い回しはあるのだが・・・と、沈思黙考すること数十秒。ひょっとしたら「立つ鳥、跡を濁さず」=写真右=ではないかと思い至った。

【立つ(発つ)】の項に、例文があった。「-鳥、跡を濁さず」〔=他に移ろうとする水鳥は、水を濁したり 波を立てたり しないで、静かに水面から去るものだ〕

東野(いや、吉田)は、これを分かりやすく言い換えたのではないだろうか。

W杯は、出場各国の文化や伝統が広く紹介される機会だが、時には海外メディアの突っ込みに対応を誤り、誤解を招くような報道をされることもある。それを思えば、東野いや吉田のコメントはなかなかの〝ディフェンス〟ぶりだったと思う。

 

 

荒川区西尾久のカラスは行儀がいい

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 よんどころない事情があって治五郎は過去19年、各地を転々としてきた。

よんどころない【≪拠無い】〔拠りどころが無いの意〕そうするよりほかに方法がない様子だ。また、他のことを犠牲にしてもそうしなければならない様子だ。「-用事」

台東区谷中3丁目 ②同7丁目 ③板橋区赤塚2丁目 ④弘前市桔梗野2丁目 ⑤荒川区西尾久3丁目(現住地)

この中で、⑤のカラスは格段に行儀がいい。上掲写真のような、生ごみをあさる浅ましくて見苦しい姿を見かけることはほとんどない。荒川区はどんなカラス教育を施しているのだろうか? と感心する。

朝、上空を飛ぶカラスの声も「ガア」とか「ギャア」とか下品なものではなく、中には「ァハ~ン」と妙に色っぽい声を出す個体(♀のはず)もいる。

新解さんで「からす」の項を読んだら、例によってワシなどが身につまされる(というか、身も蓋も無い)ような語釈が載っていた。一部を割愛して紹介しよう。

からす【〈烏】㊀人家近くの森などにすむ、りこうな鳥。羽が黒くて、くちばしは強大。〔その習性から、口やかましい人・物忘れをする人・食い意地の汚い人の意にも用いられる〕〔カラス科〕「-の足跡〔=中年を過ぎた婦人の目じりに出来るしわ、の称〕

㊁〔「尾羽打ち枯らす」のもじりで〕哀れむべき生活をしている男の称。「宿無しー」 

 どうして新解さんは、そこまでズバッ、グサッと言わなきゃ気が済まないんだろう。

身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く

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あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり

【髪膚】「髪の毛と はだ」の意の古風な表現。〔からだ全体の意に用いられることもある。例、「身体ー、これを父母に受く」〕

【毀傷】「損傷」の意の古風な表現。「身体髪膚これを父母に受く、あえてーせざるは孝の始めなり」

「個人の肉体は両親から与えられた大切なものだから、(たとえ気に入らない部分があっても)勝手に傷をつけたり整形手術をしたりしてはいけない。この考え方が親孝行の出発点である」という意味だろう。

治五郎には諸般の事情があって「孝」を説く資格など全然ないのだが、床屋で髪を切ることを除けば身体髪膚を毀傷した経験はゼロと言える。

ところで、上の写真である。どこの誰とは言わないが(言ってるだろう)、某国の天才的なサッカー選手の腕に施されたタトゥー(入れ墨)。

これを見て「おお、美しい。見事な芸術だ!」と讃嘆する日本人は、残念ながら滅多にいないだろう。大半は「毒々しい・・・」と、顔を背けるのではあるまいか。(モンゴル人の大半も同様だということは最近、知った)

いれずみ【{文身}・{刺青}・〈黥】〔「入れ墨」の意〕皮膚を針などで傷つけ、墨・朱などを入れて、色鮮やかな模様などを▵かくこと(かいたもの)。ほりもの。〔江戸時代は前科者の目印とし、現在は香具師などがする〕

肩かどこかに恋人のイニシャルを彫るくらいならカワイイもんだが、メッシ(って誰だっけ)に限らず、タトゥーは一度彫ると柄が増えこそすれ減ることはないらしい。我が国の場合、最後はクリカラモンモンまで行くのが必定だ。

倶梨伽羅】〔竜の意の梵語の音訳〕岩の上に立ててある剣〔=不動明王が右手に持つ降魔の剣をかたどる〕に竜が巻きついた形。火炎におおわれている。

ーもんもん【ー紋紋】くりからなどを背中に彫った いれずみ。また、その いれずみをした博徒(バクト)や、鳶(トビ)の者など。

銭湯や温泉場では普通、入れ墨をした人の入場を禁じているが、メッシ(誰だっけ)らには「反社会的」という認識がないから、2020年の東京五輪に彼らが大勢やって来ると、さまざまなトラブルが予想される。政府は早めに対策を講じなきゃいかんぜよ。

昔のウィッキーさんを今のウィッキーさんで調べる

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 アントン・ウィッキーさん(1936~)=写真左=である。若いモンは、もう知らないかもしれない。(懐かしいなあ)

80年代を中心に15年間、汐留ではなく麹町にあった日本テレビ「ズームイン‼ 朝!」の「ウィッキーさんのワンポイント英会話」コーナーに出演した。

急ぎ足で出勤・登校途中の人に突然、英語で話しかけて答えを引き出そうとするから迷惑と言えば迷惑な話で、この人を見かけると逃げる人が多かった。

しかし親しまれやすい人柄が好かれて人気者になる。よく出没した新橋駅前の広場が、やがて街頭インタビューの〝メッカ〟となったのも道理であろう。

【メッカ】㊀サウジアラビア西部に在る、イスラム教の聖地。開祖ムハンマドがこの地で生まれた。㊁その方面の中心地で、(その世界の根源が求められる所として)多くの人が一度行ってみたいと思っている所。「高校球児のー甲子園」〔㊁の用法は本来誤り〕

その当時は出現が予想されていなかったインターネット百科事典「ウィキペディア」=写真右=を、治五郎は勝手に「ウィッキーさん」と呼んでいる。この新ウィッキーさんは、あのウィッキーさんをどう説明しているだろうか。

スリランカ生まれ、日本在住の国際比較学者、外国人タレント。・・・>とあって、実際の年齢が今は81歳であることにも根拠を示している。

ワシは、編集に参加するほど熱心ではないが日頃、新ウィッキーさんには大変お世話になっている。ただし書いてあることを鵜呑みにすると、どんな間違いを犯すか分からないのが人間だから、要注意。

新聞社内の「記者教育」においても「ネットで得た情報は、必ず原典に当たってウラを取れ」と口を酸っぱくして言っているようだ。ま、新ウィッキーさんの発展と充実には期待を表明したい。