ハングリー精神と反グルメ精神
「塩引き(しおびき)って分かりますか? なに、分からない? じゃ新巻(あらまき)=写真左=ならどうだ?」
【塩引(き)】サケ・マスなどの塩漬け。
【新巻】秋とれたサケの内臓を除いて軽く塩をふったもの。多く、年末・年始の贈答用。
「甘口なんか絶対ダメだよ。塩を吹いていて、見るからにしょっぱいのでないと」
【吹く】㊂内部にあるものが外に現われ出る(ようになる)。「粉が吹いた干しがき/芽をー/緑青(ロクショウ)がー/泡をー」
「私の最も愛する食品が、これであります。おにぎりのデッカイやつに塩鮭が入っていれば、もう他には何も要らない。鮭は、細くなった部分と少し焦げた皮が不可欠。おにぎりでなくても、飯に乗せて湯をぶっかければ大満足だ」
さっきから御託を並べているのは、治五郎ではなく元首相の田中角栄(1918~1993)である(多少の脚色が施されている)。
ワシは、角さんの車を新聞社のハイヤーで半年ほど追い回した経験があるので、あながち赤の他人とは思えない。
「なんだ早坂(秘書)。今週の予定? 今夜は帝国ホテルで明日は赤坂の料亭、明後日はホテル・オークラか。ああ、塩引きだけ入った握り飯が食いてえ!」
ワシは、田中角栄という政治家が好きではない。彼の「日本列島改造」によって、この国は最も好ましくない方向に向かったとさえ思っている。
ただし、彼の「舌」には100%の共感を覚える。ああ、塩を吹いた鮭を白飯に乗せ、湯をぶっかけて食いてえ! (最近は「減塩」という〝信仰〟が幅を利かせているので、もう近所のスーパーでは手に入らないのです)
人生経験が正解を妨げるケースもある
例の「日本語能力試験」の問題集で脳のリハビリに励んでいたら、四択問題に以下の質問が三つ続いていた。( )内に入れるものを選べという。(長文の読解問題も多いんだが書き写していると夜が明けるので、短い例で許してね)
A.友達に会いに北海道まで行ったのに、友達が留守でまったく( )だった。
1 千鳥足 2 不要足 3 無用足 4 無駄足
B.高熱が出ているので、( )の疑いがある。
C.彼女のことはよく知りません。ときどき道で会って、( )をする程度の関係です。
1 無駄話 2 世間話 3土産話 4 作り話
大学入試だったら簡単で、高校入試なら難しいというレベルだろうか。もちろん正解はAが4、Bが3、Cは2(のはず)。外国人留学生が全部解いたら立派なもんだ。
しか~し。治五郎には分カラナクナッテくる部分もある。
A 北海道で友達に会えず、ススキノで飲んで千鳥足でホテルに帰った男の場合は?
B 貧乏性(または酒やタバコの依存症)の男が高熱を発した場合、真の病因は?
C 彼女と交わす会話の内容が、ことごとく「無駄」なものだったら?
別の解答が正しいことだって、大いにありうるのではないだろうか。高校生には答えられるのに、年を取ると簡単には答えられなくなる問題というのもフフ、あるんじゃよ。
火星=写真=が15年ぶりだかに最接近しているそうなので、夜中に外へ出て南の空を見上げたら、ほかの遠い星とは様子が違うから肉眼でもすぐに発見することができた。
「その時の火星の様子を、次の中から一つ選びなさい」
A まばたく B またたく C きらめく D さんざめく
Bだろうって? 残念でした。どれも違います。近いだけに全く瞬かないのでした。
青森県民に問う「ねぶた」と「ねぷた」の違い
知ったかぶりのAという東京人がいるとしよう。一方に、津軽出身を名乗るB老人がいる。この二人が谷中か日暮里あたりの飲み屋で知り合ったとしよう。
A「今年もネブタの季節ですね。ネブタとネプタの違い、青森県人ならよく知ってるでしょうが、ネブタが青森、ネプタは弘前。混同する人が多くて困りますね」
B「・・・」
A「人形ネブタと扇ネプタの違いはもちろんですが、囃子の音色からして違う。青森ネブタは戦場からの『凱旋』を表現しているので明るく、弘前ネプタは戦死者が出るのを覚悟した『出陣』だから粛々として悲壮感がある」
B「・・・うー」
A「Bさん(あ、治五郎さんとおっしゃる)は、どう思ってますか?」
B「うー・・・・・ワンワンワン!」
A「おい誰か! この人を押さえてくれ」
取り押さえられ、人心地がついたところで、Bがおもむろに口を開いた。
B「ワシはのう、今を去る60年前、満5歳の夏には青森市に隣接する東津軽郡平内町の山中で、アケビやヤマブドウを採集しながら生息しておった。青森市内まで出て祭りを見物したことはあるが、『ねぶた』なんちゅう言葉は聞いたことがない。『ねぷた』なら通じないこともないが、それも正しい発音ではない。では、何と発音したかって? Nempfta、と言うのじゃよ。
今でこそ『青森ねぶた祭』=写真左=、『弘前ねぷた』=写真右=と区別しているが、それは1960年代以降の話。全国から観光客が来るようになって、両者を別々にPRしようという青森と弘前の観光関係者の談合・密約があったに違いないんじゃ」
A「初めて聞きました。弘前のネプタ、いやNep・・・何でしたっけ」
B「Nempfta!」
A「それが明日から始まるようですが、治五郎さんは帰省しないんですか?」
B「いやあ、花火大会と同じで人が群がる場所は苦手でな。それに、今は『ふるさとは遠きにありて思ふもの』という心境なんじゃよ」
高さと広さと深さに対する人間の認識について
富士山の3776メートルという高さはどのくらいのものか? それは、例えば三保の松原(静岡県)=写真左=に立てば一目瞭然。ここと山頂との標高差が、それだ。和歌山県や栃木県からも見えるというから、相当な高さと言えるだろう。
しかし、3776メートルを垂直ではなく水平に置き換えて考えたら、どうなるか。JR山手線の駅と駅の間が平均1.2キロらしいから、わずか3~4駅の距離に過ぎないということになる。少し意外な気がしないか。
国際宇宙ステーション(ISS)は、地球から約400キロの距離にある。ものすご~い高さだと思いがちだが、400キロといえばアンタ東京~盛岡、東京~神戸ぐらいの距離しかない。かなり意外な気はしないか。(しない? あっそ)
台風=写真右は進路予想図=の時など、日本は半径何百キロという範囲で雨雲に覆われるが、雨雲の高さ(=低さ)に比べたら、その面積はベラボウなものだ。イメージとしては、地球の表面(の一部)が広大なオブラートをかぶせられた状態で、山の高さなど物の数ではない。そう思わないか。(思わない? もう、どっか行ってなさいね)
もっと分からなくて怖いのは「深さ」の問題で、ジュール・ヴェルヌの古典的SF「海底二万哩(マイル)」の世界などは想像を絶する。そして、宇宙に比べて地球の内部がどうなっているのかは、研究と解明が著しく遅れているように思える。
さて、ここからが〝思索家〟治五郎の持論。
文化に3種あり。「高める文化」と「広める文化」と「深める文化」だ。優劣の問題ではない。ワシが「深める文化」に最も惹かれるのは、それが「底知れない」からにほかならない。(さっき出ていった人も、戻って議論に加わりなさいよ)
ノーヒットノーランと完全試合の違い(2)
ちょうど40年前の春だったと記憶する。甲子園球場で、センバツ高校野球の一回戦(前橋高 ✖ 比叡山高)が行われた。
25歳になったばかりの治五郎は、前橋支局の下積み。ようやく野球のスコアブックをつけられるようになった頃で、甲子園に出場することになった進学校の前橋高(通称マエタカ)に、思い入れは特にない。
現地には支局の先輩記者が群馬県版用に派遣されたし、パブリック・ビューイングなどもない時代だから、地元で取材すべき〝場面〟は何もない。県庁前の喫茶店に入って、M新聞の記者(年上)とコーヒーフロートか何かを飲みながらテレビ観戦した。
マエタカの松本稔という投手=写真=はコントロールと度胸に定評があったが、他県から注目されるような存在ではない。ところが、この日はバカに調子が良かった。5~6回まで三者凡退が繰り返されたあたりで、少し心配になった。
「ノーヒットノーランになるかも」
「それならまだしも、完全試合になったらどうする」
「なんだお前、そんなことも知らずに野球の取材をしてたのか」
(他社の先輩というのは、自社内では聞けないことを教えてくれるから、ありがたい)
不安は的中して、松本投手は「春・夏を通じて全国初の完全試合」を達成した。一面、運動面、社会面、そして県版と、馬に食わせるほどの原稿量が必要になる。
支局に戻ると、デスクが「知事の談話は取れたか?」「松本投手の小中時代のエピソードはないのか」と殺気立っている。
あの日の大騒ぎは、忘れようとて・・・覚えきれない。完全試合とはどういうものかを、ワシが65歳の今も忘れずにいるのは、そういう背景があってのことです。
ノーヒットノーランと完全試合の違い(1)
こういうタイトルを掲げた場合、世間の反応は必ず次のAかBかに二分される。中間は存在しない。
A「そんなことも知らないの? 日本人なのに」
B「知りません。たぶん野球の話だと思うけど、関心がゼロなので」
当ブログの読者は、どちらかと言えば教養の豊かな人が多いはずなのだが、野球のこととなればBの方が7割以上を占めているような気がする。
無用の混乱を避けるために、新解さんの力を借りておこう。
ノーヒット ノーラン 〔野球で〕投手が、安打を一本も出さず、四死球や失策以外の走者を出さずに完投し、相手チームを無得点に抑えること。無安打無得点。
完全試合 〔野球で〕一人の投手が相手に安打・四死球を許さず、味方の失策も全く無く、一人も走者を出さずに完投して勝った試合。パーフェクト ゲーム。
これでスッキリする。ノーヒットノーランのうち、フォアボールもデッドボールも味方のエラーも無く、敵に一度も一塁を踏ませなかった試合だけが「完全」なのだ。
「四死球って何ですか。英語を使われると、ますます分かりません」
(オー、治五郎ガ間違ッテマシタ。アナタニ野球ヲ覚エナケレバナラナイ義務ハナイ。良カレト思ッテシタ引用ガ、カエッテ無用ノ混乱ヲ招ク結果ニナッタノデス)
<プロ野球・読売巨人軍の山口俊投手(31)が27日、東京ドームで行われた中日ドラゴンズ戦で、無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を達成した。許した走者は七回に四球で出した1人だけだった。プロ野球史上79人目で通算90度目。巨人の選手では、2012年5月30日に達成した杉内俊哉投手(37)以来。>(©読売新聞)
セ・リーグでどこが優勝するか、固唾を呑んで見守る人が今年はもういないだろうが、甲子園というものがあるお陰で、野球ファンは微かな期待を抱いている。治五郎の年代には、高校野球を見て「よみがえる青春」というものがあるのだ。(続く)
花火考
出張先で一緒に取材中、長い沈黙の後に若いカメラマン(♂)が言った。「治五郎(ではなく本名)さん、白状すると僕、実は大好きなんです」
(な、なんだ藪から棒に。ワシは♂だぞ、そっちのケはない!)
これは勘違いだった。数分前に「花火」の話題になって、彼が「長岡の花火は見たことがありますか? 大曲のは? 隅田川のぐらいは見てるでしょう」と、うるさいもんだから「花火というものに興味がないんだ」と答えたら、気にしていたらしい。
花火の写真をうまく撮るには独特の技術が求められるのだろう。プロでもアマでも、花火というジャンルに強いこだわりを持つカメラマンは少なくない。
ワシに言わせれば、打ち上げ花火=写真左=なんちゅうものは現実の夜空を焦がす一瞬にしか醍醐味がないのであって、後で写真や録画ビデオを見たって面白くもおかしくもない。観衆の「たーま屋~、かーぎ屋~」という掛け声なども、ワシは江戸の昔から好きになれなかった。(一体いつから生きてるんだ)
その点で線香花火=写真右=は、いいやね。「パチパチパチパチ!」が「パチ、パチ、パ・・・」になって、最後はポトンと落ちる。はかない人生が表現されている。
ちなみに、線香花火には若い女の浴衣姿がよく似合う。ただし、その娘は黒髪でなければならず、金色や茶色に染めていてはならない。手足の指に、変な色を塗りたくったりするのは厳禁。(爪に絵なんか描くな、気色悪い。何がアートだ)
治五郎の鬱憤とは関係なく、28日(土)の隅田川花火大会は台風12号の接近で開催が危ぶまれている。(中止になればいい)と願うほど、ワシも性格が歪んでいるわけではないので、大会の成功を切に祈っている、(ちょっとウソっぽいか)
なぜか大阪弁になる移民問題と女性の魅力
自国のニュースに敏感なヘルマン青年が、メールに次の記事を添付してきた。
<人種差別理由にエジルが代表引退 サッカーのドイツ代表MFエジルが22日、差別的な扱いを受けたとして、代表引退を表明した。トルコ系の同選手は自身のツイッターに「人種差別と軽蔑を感じ、これ以上ドイツ代表としてプレーしないと決めた」と記した。
ワールドカップ(W杯)ロシア大会で「戦犯」の対象の一人となったエジルは、ドイツ連盟のグリンデル会長にふがいない戦いを非難されたとし、「会長や彼の支持者から見れば、試合に勝てば私はドイツ人だが、負ければ移民だ」と批判した。>(ロイター時事)
「おお、ヘルマンか。二月以来だな。また何か人名に関する疑問でも?」
「いえ、エジル=写真=の災難が私には残念でなりません」
「あ、エジルなあ。ロシア大会では確かに調子が良くなかった」
「私も母方がトルコ系移民なので、ひとごとではないのです。『ひとごと』は漢字で書けば『人事』より『他人事』の方がいいようですね」
「相変わらず勉強熱心だな」
「エジルの『試合に勝てば私はドイツ人だが、負ければ移民だ』という言葉には重みがある。確かに、ドイツという国にはそういう側面があることを否定できません」
「う~ん、重いな。ところで、ほかにも何か?」
「へえ、昨日の治五郎日記に日本語能力試験の例題が載ってましたやんか」
<問題Ⅴ 次の文の____の部分に入れるのに最も適当なものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
男から見ると、____のある女性のほうが魅力的に見えるという。
1 うら 2 うしろ
3 かげ 4 こころ >
「あれの正解は『3 かげ』なんやてなあ。『4 こころ』じゃあきまへんのか?」
「そこが日本語の難しいところなんだろうな」
「私はN2まではクリアするんやけど、どうしてもN1に受かりまへんのや」
「まあ、めげずに頑張りや。ヘルマンなら大丈夫や」
「へえ、おおきに」
男から見て魅力的な女性とは?
世界各国で日本語を学ぶ外国人のための「日本語能力試験」というのがあって、いろんな受験参考書=写真=が出回っている。芥川賞でも取った話題作を除けば、純文学の発行部数より多いのではないだろうか。
初級から上級まで5段階に分かれていて、最も難易度が高いのを「N1」という。最高点を取れば、もちろん「N1グランプリ」である(ウソです)。
問題1 次の文の( )に入れるのに最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A「すみません。お皿を落としてしまって・・・。」
B「大丈夫。この皿は割れるべくして( )。気にしないで。」
1 割れたんですよ 2 割れていますよ
3 割れていませんよ 4 割れそうもないですよ
(う~ん、簡単なようでいて外国人には結構、難しいのではないか?)
問題Ⅴ 次の文の____の部分に入れるのに最も適当なものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
男から見ると、____のある女性のほうが魅力的に見えるという。
1 うら 2 うしろ
3 かげ 4 こころ
(やっぱり、相当なレベルだと思うよ。元新聞記者が一問でも間違えると、何か烙印を押されるようでコワイ。いやあ、連日の猛暑も吹っ飛ぶようなスリルである)
やるせなき治五郎親方の名古屋場所総評
〽 まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い・・・
昭和歌謡界の大御所・古賀政男(1904~78)=写真左=の名曲「影を慕いて」の冒頭だが、この詞には昔から指摘されてきた文法上の大きな誤りがある。「やるせぬ」の問題だ。
【遣(る)瀬】〔「瀬」は浅瀬の意で、立つことが出来そうもない深い淵に対して、心の安らぎが得られるところを言う〕【―無い】心の内の苦しさや悲しさをまぎらわすものがなく、暗澹たる気分に陥る様子だ
「遣る瀬」が「無い」のであって、「やるせる」という動詞(そんなものはない)の否定形ではないのだ。「許せぬ」は許せるが、「やるせぬ」は許されぬ。
話は変わるが(変わりすぎか)バナナ=写真右=と言えばフィリピンであり、フィリピンと言えば長野県上松町在住の大道マルガリータさん(48)の祖国である。彼女には久司君という息子がいて毎日、大好物のバナナを食べて大きく育った。
それが大相撲の関脇・御嶽海(25)で、平成最後の名古屋場所で優勝することになった(13勝2敗)。長野県出身では初の快挙だから、地元は大騒ぎだ。
ワシも祝福するにヤブサカではない。が、今場所は休場者が多すぎて本場所の体をなしていなかった。FIFAならぬNSK(日本相撲協会)のランキングでは、①鶴竜②白鵬③稀勢の里④豪栄道⑤高安⑥栃ノ心⑦逸ノ城で、御嶽海は8位だった。
それが、横綱(①~③)は三人とも休場、大関(④~⑥)のうち⑥も休場。カド番の④と⑤、それに関脇(東)の⑦は勝ち越すのが精いっぱい。上位に有望力士がいないのだから、ナンバー8の御嶽海が優勝するのは当たり前だろう。(なんだ、つまらん)
陸上競技に「追い風参考記録」というのがあるが、今年の名古屋場所は「参考優勝」とでも呼ぶしかあるまい。(治五郎親方の目は厳しいのだ)
来場所の〝大関獲り〟が取りざたされる御嶽海だが、実現は容易ではない。今場所の敢闘賞が光った豊山、朝乃山に加え、ワシが「咲勝(しょうしょう)時代」を予見した阿武咲、貴景勝も、立ち上がりは不調だったが終わってみれば10勝している。
浮沈の激しい大相撲の世界。特別扱いの横綱を除いて、大ケガで休場が続けば〝転落の人生〟が待っている。元大関の照ノ富士なんか、どこへ行ってしまったのだ?
治五郎親方は「遣る瀬ない」のである。