「ペロルの決算」考

 

 

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 人間は普通、年を取るにつれて体が乾燥してくる。もし「還暦を過ぎたら、なんだか体が脂ぎってきまして」という人がいたら、その人は少しヘンだと思う。

治五郎は(自慢じゃないが)一般人に比べて老化の進行が早めなので、体の乾燥度も人より早いようだ。50を過ぎる頃には、新聞をめくるのが難儀になってきた。

 つい、指先をペロリと舐める癖がついて久しい(大体は親指か人差し指で、薬指や小指を使うことはない)。読み終わった新聞はヨレヨレになっている。

 図書館などでも、指を舐めて新聞をめくる高齢者が少なくないらしく、顰蹙を買っている。この行為を「ペロリズム」と呼び、人前でも平気でやる人のことを「ペロリスト」と称する。(ということを最近、知った)

ペロない、ペロます、ペロ、ペロる時、ペロば、ペロれ、ペロう。う~む、この新しい動詞「ぺろる」は五段活用に違いない(とワシは見た)。

ペロリをやらずに済めば済ませたいのだけれど毎朝、新聞を開くたびに指サック=写真左=を装着するというのも、いかがなものか。

 それで思い出すのだが昔、若かりし沢木耕太郎が書いたノンフィクションの傑作「ペロルの決算」=写真右=がある。あれは確か・・・え、違う? 「ペロルの決算ではなくテロルの決算だろう」って? 

言われてみれば、そうだったような気もする。読み返してみたいが、また文庫本をペロることになりそうだ。

思えば、あちこち住みました

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読者のための記録ではなく、消えゆく自分の記憶を補うために書いておくのですよ。生まれてから今の老境に至るまで、半年以上は住んだことがあるという場所を(順に)挙げれば、どういうことになるか。

青森県東津軽郡平内町、旧西ドイツ・フランクフルト市、同国ハイデルベルク市、青森県弘前市宮城県仙台市弘前市(2度目)、千葉県市川市船橋市だったかも)、東京都江戸川区、同板橋区群馬県前橋市、神奈川県川崎市、埼玉県大宮市(現さいたま市)、東京都台東区(谷中界隈で2か所)、同板橋区(2度目)、青森県弘前市(3度目)、東京都荒川区

延べ16か所だ。普通の人(って、どういう人だ)に比べると、これは多いんだろうか、少ないんだろうか。「多い!」という人と「少ない!」という人に分かれるだろう。

オギャーと生まれた家に半世紀以上ずっと住んでいるという人もいるだろうし、1年に何度も引っ越したから100か所ぐらいには住んだという猛者もいるはずだ。治五郎が愚考するに、延べ16か所あたりが日本国民の平均ではないだろうか。

 もしもワシが真っ当な社会人(会社人間)や家庭人であったなら、30代以降は埼玉県大宮市(現さいたま市)=写真左は氷川神社=に定住して老年に至ったはずなのだが、そうはならなかった。

ワシの原点は、やはり青森県東津軽郡平内町で乗った馬そり=写真右=にある、という話に持っていきたいのだが、それはまた今度ね。

 

ドラマ「深夜食堂」と昨今の日韓問題

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困ったな。そんな難しい問題を治五郎に論じさせようとおっしゃるか。(誰もおっしゃってないよ)

まあ、ご指名なので(指名されてないってば)僭越ながら、ひとこと申し上げよう。

 まず、GSOMIA をめぐる日韓のゴタゴタに関しては、清水の次郎長一家を引き合いに出せば分かりやすいと思う。次郎長という大親分(アメリカ)には、大政(日本)小政(韓国)という忠実な部下がいるのだが、この二人が喧嘩を始めた。一家ファースト主義の次郎長は、しばらく静観したが埒があかないので、森の石松その他の手下を総動員して小政に脅しをかける。「明日からも一家に残れる思うとるんか、おんどりゃー!」(言葉遣いは少し違っているかもしれない)

話は(少し)変わるが、治五郎が(少し)目をかけてきた日本のドラマに「深夜食堂」=写真左=がある。何か訳ありのマスター(小林薫)が、いろんな客の人生をカウンターの中から見つめるというストーリー。感動的とまではいかないだろうが、毎回(少し)ホロッとさせられる 。「そういうことって、あるよなあ」と共感できるのだ。

韓国で作られた「深夜食堂 from ソウル」というドラマ=写真右=があって、ワシゃ笑いながら感心してしまった。翻案? 違う。換骨奪胎? 違う。敷き写し? それも違う。「和魂才」ならぬ「和魂才」なのかというと、それほどのものでもなさそう。同じドラマを、韓国人のスタッフと俳優らでそっくり作り直したものなのだ。が、これが結構イケてる。

以前、日本で視聴率を稼いだ「家政婦のミタ」の韓国版「怪しい家政婦」を見て、あきれながらも(少し)感心したのを思い出す。

日本と韓国。どっちが大政でどっちが小政なのかワシは知らんし、どっちでもいいんだけれど、互いの同じところと違うところを冷静に見つめ合いたいものです。(どうせ親分は次郎長なんじゃけんのう)

 

治五郎親方の「嬉しいような、哀しいような」

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大相撲九州場所は、14日目に横綱白鵬が43回目の幕内最高優勝を決めた。強すぎたというより、他の横綱大関が相次いで早々と休場したからだ。面白くない。

幕内で白鵬十両で東龍、幕下では照ノ富士(大怪我で序二段まで落ちた元大関が、這い上がった)。各段優勝者は上の3人が3人ともモンゴル出身者で、序二段優勝の北天海というのもモンゴル人。とうとう、こういう時代になったのだ。

十両の霧馬山や豊昇龍(朝青龍の甥)ほか、いずれ三役入りしそうな若手がワンサといる。浅からぬ因縁によりモンゴルびいきとなって久しいワシだが、こうまで優劣がハッキリしてくると「元寇に脅える鎌倉幕府」的な気分にもなろうというものだ。

 そもそもモンゴル国は、人口が(増えつつあるとはいえ)320万人ほど。日本の4倍の国土面積に、住んでいる人間の数は静岡県より少ない。日本(1億2千万人?)の何十分の一に当たるのか、誰か計算してみて下さい(ワシには計算できない)。そのうちの2人が長く横綱の座を守り、今場所は各段優勝者の6人中4人を占めた。一体どういうこっちゃねん。

白鵬の優勝43回という記録は今後、何十年も破られないだろう。横綱審議委員会の御歴々からは「品格」に注文がついているが、それは「負け犬の遠吠え」に聞こえる。日本に帰化した白鵬は、引退すれば白鵬部屋の親方になり、遠からず日本相撲協会理事長という「権力」の座も保証されているに等しい。(なにしろ対抗馬がいない)

彼自身は、体力の衰えを感じて「東京五輪までは」と言っていたが、優勝したら「あと2~3年は続けて優勝50回」が目標になったらしい。人間の「欲」は果てしない。

 はてし【果(て)し】「果て」の強調表現。「―〔=きり〕(が)ない」

そろそろ最後(?) サンド会

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時間の過ぎ方が一段と加速して、月の満ち欠けばかりかヒゲや爪の伸び方にまで実感されるようになってきた。大相撲九州場所も中日(なかび=8日目)を迎えたかと思いきや、きょう20日はもう終盤の11日目だという。第三土曜(今月は16日)夜のサンド会なんか、一昨日の事かと思ったら4日も前の話になっている。

その前日、大野画伯から「今月も行けないが、皆さんでどうぞ」と秋田の銘酒「雪の茅舎(純米吟醸)」=写真左=の一升瓶が届いた。しかし、彼が何人か連れてきてくれないと、一升瓶は片付かない。(一人でも片付けられないことはないが、もったいない)

すると三鷹方面から遠路はるばる、ギターの巨匠・原荘介さんが弟子の吉田さんを伴って現れた。どちらも〝アラサン〟(アラウンド傘寿=80)であるから、平均年齢が一気に高くなる。吉田さんは西尾久・小台界隈に土地鑑があるが、原さんは初めて。

隠居所とはいえ、治五郎庵の狭さに呆れるだろうと思ったら、原さんは室内を見回して「あずましいな」と、つぶやいた。「快適・心地よい」を意味する津軽弁だ。

この人は秋田県人だが、父が南部で母が津軽の出身。津軽弁が〝母語〟なので、ワシと会えばたちまち津軽訛りが全開というか炸裂する。東京人やモンゴル人には全く意味が通じない言葉が多いので、そのつど自ら〝通訳〟を務めた。

原さんは珍しいテキーラ=写真右=を1本携えてくれたのだが、アルコール度36%とあって、さすがに飲み切れなかった。次のサンド会まで(なるべく)取っておく所存であるが、その日は訪れるであろうか。

テキーラ 〔tequilla=メキシコの地名〕 メキシコ産のアルコール分の強い蒸溜酒。原料は、竜舌蘭の一種の樹液。

 

「年齢」と「過ち」三態

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 ①Aさん(44、女性)の場合・・・今夜がカレーライスなので、きのう買っておいた福神漬=写真左=を取り出そうと冷蔵庫を開けたら、思わず「あーっ」と悲鳴が出た。そこにあったのは、メンマ(しなちく)=写真右=。「カレーには福神漬、ラーメンにはメンマ」という夫の強い先入観が交錯して、うっかり買い間違えたのだ。

 ②Iさん(88、旧通産省官僚)の場合・・・池袋で運転中にブレーキとアクセルを踏み間違えたらしく、歩行中の女性(31)と娘(3)をはねて死亡させたほか9人に重軽傷を負わせた。はっきり言って当人はヨボヨボで、謝罪行脚どころではない。世論の高まりで、高齢者の〝運転免許返上ブーム〟には一役を果たした。

③Jさん(66、治五郎)の場合・・・年齢は①と②の中間に位置する。カレーは、うまく出来た(味のコントロールはワシの担当)けれど、覚えたレシピばかりか「いまテレビに映ってた人」の名はすぐに忘れる。44、66、88という「ぞろ目」には、いろいろ注意が必要なようです。(注意してどうなるというものではない)

20年ぶり?に手で文章を書いた

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 20年というのは、必ずしも誇張ではない。20年前といえば治五郎は働き盛りで毎日、相当な量の原稿を(大いに楽しみながら)書いていた時期だが、すでに鉛筆やボールペンを握ることはなく、何を書くのにもパソコンが欠かせない時代になっていた。

手紙よりメールの方が、早くて確実。という「神話」が蔓延して、ワシもそう思わされてきた。間違いだったとは思わないが、自分より上の世代には「メールって何だ?」という人も、決して少なくない。

先月のサンド会当日、敬愛する79歳の音楽家から電話があった。

「そこへ行きたいんだが、行き方が分からない」

「う~ん、来てほしいんだけど、どこの駅で何線に乗り換えて、バスの何番乗り場から乗るかという説明が、電話では難しい。次回以降のために、書いて送りますよ」

というわけで、手書きのメールを郵送することになった。(今の隠居所にはプリンターがないし、コンビニなどへ印刷しに行くのも面倒だ)

飲みながら書いたら案外、まともな文字が書けた。ところが翌朝、素面で封筒に宛先を記す段になると、これが一苦労。ミミズが這ったような、というよりイモムシがのたうち回っているような字になる。

 切手を貼るのが、また大変。消費税アップで普通郵便は84円になったそうだが、昔の記念切手(62円)がたくさん残っているので、それ1枚に22円分を貼り足さなければならない。10円切手を2枚と2円切手1枚、計4枚を貼ったら結構、疲れた。

手紙を手で書いて、封筒に切手を4枚貼って出すという作業が、治五郎老人にはかなり難しい作業であることを思い知ったのである。

妄想と美化による「ブログ読者」のイメージ

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しようもないブログを書き続けていて、ふと感じる「視線」がある。

治五郎は本名を隠していないし、プロフィールやメールアドレスも公開していて「文句や苦情があれば直接、言ってこい!」というスタンスなのだが、そんな相手が(いることはいるけれども)非常~に少ないのだ。みんな物陰から(たとえば電信柱の陰に隠れて、そ~っと見ている感じ。

そっと ㊀人に気付かれないようにひそかに事をする様子。「後ろからー忍び寄る / 裏口からー▵出て行く(見送る) / あたりをーうかがう」㊁そのものをいたわるように、注意深く扱う様子。「表面をーなでる / ー抱きしめる / ー見守る / しばらくーしておいた方がいい」(以下略)

 「そっと見守る」という視線の本質を追究すると、あの漫画「巨人の星」に於いて、父・星一徹の過激なパワハラ(?)に耐えた飛雄馬の姿を柱の陰から見つめる姉・明子=上掲=の心境に思い至るだろう。

年齢・性別を問わず、治五郎がブログ読者の姿勢に感じるのは、この視線だ。

「きょう死ぬとかあす死ぬとか、そんなことばかり言いながら治五郎は一体、いつ、どう死ねば気が済むというの?」

う~。ね、姉ちゃん! (残念ながら治五郎に姉はいない)

新橋駅前広場の真実

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あなたが今春、某テレビ局に入社した新人記者だとしましょう。「いや、僕は別にマスコミに興味ないし」などと言ってはいけません。あくまで仮の話です。

「おい新人! 天皇陛下の即位に関する街の声を拾って来い。場所? どこでもいいが下赤塚とか西尾久よりは、やはりサラリーマンの街・新橋が無難で妥当だろうな」(どうして新橋なんだ? サラリーマンって、そこにしかいないのか?)=以下、( )内は新人記者のツブヤキ。

「30人に声を掛ければ2、3件は使えるから、あとは別の新人が取材する渋谷の若者や浅草の観光客の話が2~3件ずつあれば足りる」(効率はかなり良くないな)

やむなく彼は新橋駅前のSL広場=写真=へ行った。むろん、カメラや音声も一緒だ。腕章を巻いて取材開始。

最初の一人にはジロリと睨んで無視された。二人目は「すみません、今ちょっと急いでるので」。三人目は「騒ぎすぎだと思うね。警備が大袈裟だし、金がかかり過ぎる。台風の被災地に回してあげればいいのに」(同感だけど、これはボツだろう)

七人目でようやく、テレビに映りたがっているらしくウロウロしているオジサンをつかまえた。「古式ゆかしいというか、皇室の歴史と伝統を感じさせる厳かな儀式に感動しました! 楽しみにしていたパレードが延期になったのは残念ですが」(ホッ)

20人以上に取材したが結局、オンエアされたのはこの中年サラリーマン一人。他には渋谷の女子高生3人組と巣鴨のおばあちゃん、浅草の外国人観光客夫婦の計4件だった。コメントの中身はどれも大同小異だ。

(新聞も同じようなもんだが、諸君! マスコミが伝える「街の声」なるものは、このように編集されるのだ。あ~あ、テレビ局に就職したのは間違いだったかなあ・・・)

 

台風19号を記念して「岸辺のアルバム」鑑賞

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 脚本家・山田太一の代表作で、テレビドラマの歴史に残る名作といわれる「岸辺のアルバム」(TBS、1977年)を2日間で一気に全部見た。1話50分×15話だから結構、根気が要るのだが退屈はしなかった。

いま風に言えば、テーマは「家族の崩壊と再生」てなことになるんだろうか。一流商社の部長で、会社の利益のために仕事一辺倒の夫(杉浦直樹)、貞淑な主婦なのだがひょんなことから一時、見ず知らずだった男(竹脇無我)と不倫(当時は浮気といった)に走る妻(八千草薫)。大学生の娘(中田喜子)や受験生の息子(国広富之)も、それぞれに難しい問題を抱え始めている。

放送当時(今も)、治五郎は中田や国広と同世代なので「あ~、ワシにもこんな時代に『若い頃』を生きてきた経験があったのかな」という感慨は覚えるが、価値観のズレからか、どの登場人物にもあまり感情移入することはできなかった。社会全体に「ドラマのような世界」が珍しくはなくなった、という現実があるのかもしれない。

1974年だかの「多摩川水害」によって一家の住む家屋が濁流にのまれて流されるシーン(実写)が印象的で、これがジャニス慰安(いやジャニス・イアン)のテーマ曲「ウィル・ユー・ダンス」と共に毎回、繰り返される。15回も続くと、さすがに飽きた。

「初めて経験するような大雨」が、1年に何度も繰り返される時代になった。横溝正史風に分かりやすく言えば「地球温暖化のタタリじゃあ!」ということだろう。

いま現在も外は大雨だ。さっき届いた朝刊を開くと、1面に<台風19号の被災地では、少しの雨でも洪水の危険性が高まる恐れがあり、気象庁は警戒を呼びかけている>と載っている。

慣れっこになったけれども、楽観は禁物だ。なにせタタリじゃけんのう。