読んだか読んでないかを忘れる

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この傾向は50歳代から自覚されるようになった。むかし読んだことを忘れて、同じ本を買って帰って後悔する。しかも「むかし」が20年も30年も前ではなく、ほんの1~2年前ということも珍しくなくなってきた。

還暦前後から着々と「断・捨・離」を推進し続けているので、「蔵書」と呼べるものは今や手元にほとんどない。万巻の書物を所有したところで墓場まで持ち込めるわけじゃなし、そもそも治五郎には入るべき墓もなければ入る気もない。

モノとしての本は邪魔だが、日がな一日、テレビやパソコンとばかり向き合っていると人間はバカになると思えてならない世代。幸い、歩2~3分の距離に尾久図書館=写真=があって、読みたい本は荒川区内の全図書館のどこかに1冊でもあれば、ネット予約で翌日には手に入る。

〝毎日が日曜日〟状態にすっかり慣れたワシにとって、1週間の始まりと終わりの境目は尾久図書館の休館日(=月曜日)となっている。

そうだ、明日は城山三郎の『毎日が日曜日』でも借りて来よう。話題を呼んだ1970年代に読んだような気もするし、全く読んでないような気もする。どっちだったかは読んでみるまで分からず、読み終わっても思い出せないかもしれないが、そういう事態は人生の「損」ではなく「得」だと考えた方が利口だと思うのである。