自分史を書く気はないかって? ないね

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自分の〝歴史〟なんて治五郎の場合、当ブログのプロフィール欄に記した100字ちょっとで十分。全国津々浦々で、自分史をめぐる以下のような家族トラブルが発生しているのではないだろうか。ワシには経験がなくても、妙~に生々しく想像されるのだ。

おじいさんが、自分史=写真は範例=を自費出版したいと言い出す。老妻も中年の息子夫婦も高校生の孫も、みんなが反対する。「一体いくらかかると思ってるの?」と妻。「誰か読む人がいるとでも?」と息子。嫁は、心の中で(うちはローンも払いきれてないのに、おじいさんの葬式代が払えなくなるじゃない)。孫は孫で(そんな金があるんなら毎月、小遣いをくれてもよさそうなもんだけど)

しかし、おじいさんも年が年だから頑迷固陋である。「ワシゃもうオエン。長くはなかろう。財産なんぞ1円も残らんでええが(ここで一同、キッという目で老人を見る)、生涯に1冊ぐらい本を出すのをワシは昔からボッケー楽しみにしとったんじゃ」(はしなくもオエンとボッケーで判明した。この老人は岡山県人なのである)

もう長くないと彼は思っているが、そういう人に限ってあと10年も20年も生きることになるのが世の習い。まこと、人間社会というやつはままならぬ。