映画「大魔神」における「神と日本人」

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1966年の大映作品だというから、ワシは中学生だった。ひとことで言えば「特撮を駆使した勧善懲悪の時代劇」ということになるが、こういうの好きやってん。

BSプレミアムでやっているのを見るともなく見ていたら、つい熱中した。ストーリーは極めて分かりやすい。良い殿様を悪い殿様と家老が謀殺し、領民に悪逆無道の限りを尽くす。良い殿様の息子と妹が立ち上がるが、とても勝ち目はない。

村には崇められてきた巨大な武神像があり、悪者どもはこれをも破壊しようとする。

大魔神」の画像を検索したら、どなたかは知らないが非常に分かりやすい画像=写真=をアップしてくれている。

普段は左の穏やかな姿(これは埴輪ですね。何を考えているのか……たぶん何も考えていない)なのだが、ひとたび怒ると右の恐ろしい形相(これは奈良・東大寺南大門の仁王像、特に阿形ではなく吽形の方をモチーフにしているに違いない)に一変する。

弥生時代古墳時代の「神」と、仏教が入ってきて鎌倉時代に大きな転換期を迎えた〝神〟との概念の違いを、この映画は考えさせようとしている。(そんなこと考えてもみなかったなあ、と映画を製作した人たちは言うかもしれない。いや、言うだろう)

ほとんどキレてしまって大暴れする大魔神だが、暴走を途中でやめさせたのは美少女(高田美和)の涙と、純真な子供の叫びだった。

美人と不美人の境目は今もよく分からないが「大魔神も、美人(の涙)には弱いものなんだな」ということを、かつて中学生なりに学習したものであった。