では平成3年=1991年に何があったのか(承前)

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うむ、もっともな疑問である。ワタクシ(今日は少し改まっている)が、その年をもって平成を西暦に換算する際の基準とするようになったのは、ワタクシの意識の中で、その年が「前半生」と「後半生」をハッキリ区別する〝分水嶺〟だからである。

ワタクシ流に言えば同年、「モンゴル(当時は社会主義国)において38度線を越えた」のでした。「待ちなはれ治五郎はん、38度線いうのは朝鮮半島を南北に分断する緯度のことやろ。モンゴルとは何の関係もあらへんで! どないな意味や、言うてみい!」って、そう息巻かんかてよろしがな。(どうも大阪の人はセッカチで困る)

ワシは(ワシに戻った)当時すでに家庭人としても企業人としても「はみ出し者」系を自認していたが、平成3年=1991年の4月から7月まで仕事でモンゴルに滞在した。興味も知識も全然なかった「草原の国」に3か月余。首都ウランバートルは「かなり不便な大都市」で済むが、そこを出れば見渡す限り「何もない」世界=写真=。

電気もガスも水道もトイレもなくて平気という日本人は、もう一人もいないのではないだろうか(実はモンゴルでも、都会育ちはそうなってきている。パソコンやスマホなしでは生きられないという若者も今は多い)。

初めてモンゴルの自然と遊牧民の暮らし(の一部)を知ったワシが、その世界にズップリとハマった。38の時のことである。40代から始まる第1次、60歳以降の第2次(世界大戦みたいだが)人生の激動期は、ここに淵源があると考えざるをえまい。

モンゴルの話は今後も当ブログに頻出するだろうが、興味のない人は読まないでね。

「私は読まんでええの?」って、おや由紀ちゃん。アンタは平成3年生まれの26歳いうだけや。読みたかったら読みなはれ、退屈やったら読まんでよろし。(彼女にも大阪訛りがあるとは知らなんだ。しかし由紀ちゃんって誰? それは近日公開の予定)