「ことわざを超えた金言」第1位

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それはね、「稼ぐに追いつく貧乏神」というのです。

どなたがおっしゃったかと言うと、治五郎が最も強い影響を受け「文章の神様」と崇め奉っている内田百閒先生(1889~1971)=写真=だ。夏目漱石の晩年の弟子で、名文もさることながら〝借金魔〟としても知られた。

ことわざの「稼ぐに追いつく貧乏なし」は、説教臭が鼻に付いてワシゃ好かん。ほとんど「働かざる者、食うべからず」と同義だと思う。ご案内の通り、ジゴローは年齢の離れた妻の労働に依存して生きているので耳が痛い、という事情もある。

どこかの首相が「1億総活躍」などという美名の下、実は「どんなに体力・知力・意欲が衰えても、全国民が年金など当てにしないで死ぬまで働け」と言っているに等しいことを思い合わせるべきではないだろうか。

働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり じっと手を見てしまった石川啄木みたいな人は現代でも(いや、現代だからこそ)多いものと思われる。

それが、どうでしょう。

「稼ぐに追いつく貧乏なし」を「稼ぐに追いつく貧乏神」にすると、「なし」と「神」の差だけで事態は一変する。啄木の深刻な暗さは消え、フ・・・ムフフ、ワハハハハ! と笑いだしたくなるオカシサが現出する。パロディとしても超一流の出来である。そればかりか「貧乏神」という迷惑な神様が、一体どんな形相をして「追いつく」のかまで想像させられて、名状しがたい不気味さと怖さを味わうことになる。

どうです、これが内田百閒の世界。未読の方は今すぐ、本屋か図書館に走りなさい。閉まっていたら「開けてくれ!」と叫びながらガラス戸を叩き続けるのだよ。(やはり、ワシはもう平成の世には受け入れてもらえない存在なのだろうか)