鳴かないホトトギスをどうするかという問題

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織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

 

古くから、3人の天下人の性格や政治戦略を表す言葉として人口に膾炙する言葉である。治五郎は子供のころ、3人がそれぞれの時代にアンケートかインタビューに答えたんだろうかと思っていたが、むろんそんなはずはない。

江戸の茶人(川柳作家や戯作者)あたりが、宴席の余興で悪乗りして作ったのではないかと思われる。しかし3者3様、どれもが「いかにも言いそう」なので、今でも強い説得力を持っているわけだ。

けれどもホトトギス=写真=の鳴き声なんてアンタ、「テッペンカケタカ」だろうが「特許許可局」だろうが(確かにそう聞こえるが)、どうしても聞きたくなるようなものだろうか。

だいたい信長も秀吉も家康も、ワシゃ大っ嫌い。平安末期~鎌倉初期の平家や源氏の武将たちと違い、ただの権力亡者であって「もののあわれ」を知らない。それは古代・中世より現代の政治家の方に近いような気がするんだが、どんなものでしょうか。

「鳴かぬなら・・・」のお題を与えられたら、ワシはこう答えたい。

治五郎「鳴かぬなら鳴かんでよろしいホトトギス

これじゃ天下が取れるわけがないが、天下取りなんてそんな面倒なことは夢想だにしたことのない治五郎である。そしてフツーの日本人は古来、こういう姿勢で花鳥風月=自然というものに接してきた。「やはり野に置けレンゲ草」と言うではないか。

治五郎も、たまには内容のある話をする。(自分で言っちゃうところがアレだが)