1に良寛、2に西行、3・4がなくて5に賢治

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【あやかる】理想的状態にある人と何らかのかかわりを持って、自分もそうなりたいと思う。(新明解国語辞典

この新解さんの定義に従えば、治五郎は上記の3人に「あやかりたい」と願う者である。時代が違いすぎるので、どなたとも面識はないが(当然です)、彼らの共通点は欲を捨てた(あるいは、もともと持ってない)ことだと言えるだろう。

ワシも30前後で2子が幼かったころは人並みに欲もあり、ローンを組んで確か4LDKの分譲マンションを購入したりしたものだ。しかし次第に社会や家庭と己とのギャップを感じるようになり、ひとたび「富」よりも「貧」に味わいを見いだすようになると、あらゆることに価値観の逆転が生じる。

大より小、広より狭、高より低、長より短、明より暗、有より無・・・。

よりによって、そんな38歳の春にモンゴルを知ったもんだから、もうアカン(愛知方言でダチカン、岡山弁でオエン、青森県津軽地方でマイネ、同県南部地方ではワガンネと言う)。

自分が死んだら葬式は無用、という宣言のつもりで「生前葬」を挙行したのが44歳の時。ほどなく東京・谷中でアパートの1室を借り(第1次谷中時代と第2次谷中時代がある)、できるだけ「断つ・捨てる・離れる」を心掛ける生活に入った。

とはいえ仕事まで捨てたわけではなく、遊ぶ金はなくても会社の金で「旅の取材」という大義名分の下、行きたいところへ出張できる結構な立場が続いた。(昇進・出世をしたくないタイプだと社内で認定されれば、こういう道も開けるようだ)

ええ、そりゃもう随分いろんな所へ行きましたよ。新潟・国上山にある良寛の五合庵=写真=をはじめ、奈良・吉野山西行庵、宮沢賢治の岩手・花巻・・・。

ワシは5か月ほど前から、荒川区の外れにある賃貸1DKで雨風をしのぐ毎日だが、五合庵や西行庵に比べると何の不便も感じていない。贅沢なくらいだ。

良寛西行に詳しい作家や評論家、学者の著書には多くのことを教えてもらったし、自宅をお訪ねしたこともある。どうも、皆さん概して立派な屋敷に住んでますね(掃除だけでも大変そう)。な~んか違うんだよなあ、と感じてしまう治五郎である。