もう金輪際、死ぬまで車の運転は致しません

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心配しないで下さい。死亡事故を起こしたり、酒酔い運転で逮捕されたりしたわけではありません。

治五郎が普通運転免許を取得したのは1977年、24歳の時のことである。少年の頃から運動神経の鈍さを自覚していて、運転なんか全然したくなかったのだが、新聞社の地方支局では運転が出来なきゃ仕事にならない。

最初に乗ったのはホンダのシビック=写真。型式も色も=。それからの5年間、車庫入れの失敗などで車体はデコボコになったが、なんとか無事故無違反で通した。東京本社に異動すると同時に車を手放し、全く運転することはなくなった。

いや、1度だけ福井県在住の旧友を訪ね三国港の寿司屋で飲んだ際、タクシーで旧友宅に戻ったため翌朝、彼が運転する小型トラックで三国まで乗用車の回収に行ったことがある。今度はワシが小型トラックを運転することになり、田舎の農道を走りながら「ワシは何をしてるんだろう」と不思議な気分になったことがある。(福井へは取材で出張したことになっているので、農道でトラックを運転していてはアレなのだ)

運転はしなくなっても身分証明書として長年、免許証の更新だけは続けてきた。もちろん、永遠の〝優良ドライバー〟である。「運転歴40年」となった今では、もう道路交通法なんてほとんど覚えてないし、アクセルとブレーキの踏み間違いなどは赤子の手をひねるより簡単だろう。さすがに免許証そのものを捨てる気になった。

今年5月上旬、荒川区民になって間もなく尾久警察署(徒歩3分)に出頭し、免許証を「運転経歴証明書」に替えてもらう手続きをした。ワシは実年齢より老けて見えるようで、同年輩の話し好きな交通課職員(たぶん嘱託)も「64歳で免許証返納とは今どき、ずいぶん早い方ですね」などとは言わない。「振り込め詐欺みたいな電話はかかってきませんか? 気をつけてね」と、適正な高齢者扱いをしてくれる。

発行された運転経歴証明書を受け取りに行ったら、今度は30前後の女性警官が「これまでは事故を起こさないように気をつけてきたでしょう。これからは、事故に遭わないように気をつけて下さいね」と言って、何か細長い記念品をくれた。

部屋に帰って見たら、腕に巻くタイプの蛍光塗料バンドである。なるほど夜中に徘徊しても、後ろから来た車に轢かれる危険は軽減する。

そこまで耄碌しとらんわい! と怒る年寄りもいるだろうが、治五郎は(普段は)穏やかな性格なので、ありがたい気持ちでいただいた。

ただし今のところ、夜中に徘徊したい気分になることがないので、活用の機会には恵まれない。(そもそも徘徊する前に「あ、蛍光塗料バンドを巻いて出なきゃ」と気が付くようだと、まだまだ「徘徊」の資格はないと言えよう)