顔と名前が一致する人物はどのくらい存在するか
「え~っと、娘夫婦と孫と、隣の遠藤さん夫妻と、昔の教え子で今は医療刑務所にいる斎藤君と・・・」「年賀状は毎年150人に出しとったが、半分死んで今は75人」
いや、そういう話じゃないんだよ、おじいちゃん。面識の有無ではなく、例えば福沢諭吉や野口英世、美空ひばりや安倍晋三なども含めると、どのくらいいるかという話。顔を見れば名前が、名前を聞けば顔が、パッと思い浮かぶ人は何人ぐらいいますか?
「有名人ということか。どれ、50音順で行くと、アーノルド・シュワルツェネッガー、相田みつを、アインシュタイン、赤川次郎、赤塚不二夫、阿川佐和子・・・」
もういいよ、おじいちゃん。指折り数えてたら大変だから、存命中の日本人に限定するとして具体的な数字は要らないから、ざっと大体のイメージとしてどんな感じ?
「う~ん、こんな感じ=写真=かのう」
このおじいちゃんの脳は、まだまだ衰えていないと言えるだろう。治五郎も、かつてはこの何倍かの顔と名前をセットで認識していた時期がある。
が、50歳を過ぎる頃から名前の方が出てこなくなった。50代も後半になると、例えば芸能人の取材に行って、相手が何の映画やドラマに出演した人かはよく知っているのに、名前だけフッと消えることがある。
話を聞きながら、ずっと考えているのだが思い出せない。日本人は欧米人と違って、相手のことを「あなた」ではなく「○○さん」と名前で呼ぶのが礼儀だとする傾向があるので、名前が出てこないのは非常に難儀なのである。
のみならず、マスコミ人が覚えなければならない顔と名前は、増えこそすれ減ることは決してない。その増え方がまた、最近は尋常ではない。ここ10年で有名になった人は、芸能界なら芸能界に限っても、この写真ぐらいの数になるのではないだろうか。とても覚えきれるものではない。
後輩の○○君は、定年目前のワシに「あと4年や5年は勤められるでしょう」と慰留してくれたが、ワシが60歳の誕生日に「もう潮時」とキッパリ辞めたのには、そういう事情も実はあったのだよ、○○君。(嗚呼、○○という名前が思い出せぬ。無念!)