「いっけん 死にそうで じつは ながいき」

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「健康で長生きするのが幸せというものだ」というマトモな人生観に対して、治五郎が最初から盾突くというか疑問を呈しようとしているのは分かりますね?

佐藤愛子のエッセー「九十歳。何がめでたい」がよく読まれているようだが、それは彼女のザックバランな性格と、自分自身に向けた呟きであることによって許される言葉であって、90歳の親に面と向かって言ったりすると気分を害されるに決まっているから、気をつけなければならない。

 90歳以上の人口が200万人を突破したそうで、この数はまだまだ伸びるだろう。しかし、その中の相当数を占める寝たきりの人や、寝たきりだということさえ「認知」していない人もまた増え続けるに違いない。

加えて、人間の寿命というものは個人差が大きい。90、100まで長生きするということは即ち「知ってる人がいなくなる」ことであり、自分が生んだ子供に先立たれるようなケースもこれからはザラに起きる。それでも自分さえ存命なら幸せだと思える人は別だが、「自分だけ長生きしちゃったらどうしよう」と脅えるのが普通ではあるまいか。

ここに「ある男の肖像」と題する1枚の木版画(上)がある。縦18センチ、横16センチ、額付きで時価9500円。作者は、猫の版画と〝画じゃれ〟で知らない人以外は誰でも知っている大野隆司画伯である。

これは十数年前、台東区谷中3丁目の安アパート(第1次「谷中庵」)で一人暮らしを始めたワシの姿を描いてくれたもの。「いっけん 死にそうで じつは ながいき」と書いてあるのがミソで、この中にワシの本名が紛れ込んでいる。早めに死ぬと言う人ほど、なかなか死なないものだ、という意味だろう。端倪すべからざる眼力である。

 先日(第3土曜)のサンド会に来てくれた「炎のイラストレーター」こと加藤龍勇画伯は、ワシが「自分じゃもう十分に生きたと思ってるんだが」と言うと「治五郎さんの場合は、たばこと酒をやめたら、すぐに死ねますよ」という〝名言〟を残して雨の中を帰って行った。これまた含蓄と説得力に満ちた一言である。