10秒間の切ない国際交流

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午後7時ごろ、往来ですれ違った白人青年が急に話しかけてきた。治五郎よりは背が高く、整った顔立ちで知性も感じられる。似ているというほどではないが、印象としては大体こんな感じ=写真=だろうか。

 直感だが、アメリカやカナダではなく、といってドイツやフランスでもなく(あくまで直感ですよ)ハンガリークロアチアスロベニアなどの国名が浮かんだ。

「すみません。私は日本語を勉強しています」と、流暢な日本語で言う。

「Ah・・・」(どうして、ワタクシたち日本人は欧米人から日本語で話しかけられると、自分自身の母国語が揺らいでしまうのだろう?)

「私は勉強を続けるために、ずっとアルバイトをしています。ちょっと買ってほしい品物があるのですが」と言って、小脇に抱えた箱をチラッと見せる。高級石鹸1ダース入り、といったところだろうか。ソフトな手法による新手の路上押し売りと見た。

「Oh・・・でも」とワシの方が、たどたどしい日本語になった。「デモ、私、貧乏ナノデスヨ」。相手は、虚を衝かれたような表情でワシの頭から足元まで一瞥したが、無精ひげと、ヨレヨレの半袖シャツと、税込み108円のビニールサンダルが目に入って納得したようだ。「どうも」と一礼して隅田川方向に去って行った。

その時の彼の目に、とても温かいものを感じた。ひょっとしたら、押し売りなどというのは全くの邪推だったのではないか。せめて名前や出身地だけでも聞いておくべきだった。(本当はハンガリーでもクロアチアでもスロベニアでもないと思う)

いま呼び戻せば間に合うかも、と思って「ちょっと~」と叫んでみたのだが後の祭り。青年の姿は(走って逃げたかのように)もう見えなかった。異国間の理解と誤解は、この些細な市井の出来事に象徴されているかもしれない。

てなことを、今年の初サンマ(細くて短いのに1尾なんと250円)の苦みを骨まで愛しつつ、治五郎はしみじみと感じたことであった。