箸が転がっても泣ける年頃

f:id:yanakaan:20170920075945j:plain ©水木しげる

【腺】生物体の内にあって、分泌・排泄を受け持つ器官。(新明解国語辞典

人間は年を取ると、脳や足腰の衰えもさることながら、おしなべて「腺」関係が緩くなってくる。いろんなものが漏れやすくなる、と言い換えてもいい。

排泄関係に関しては治五郎の場合、大・小を問わず我慢できる時間が短くなった。トイレ設備のない長距離バスに乗ったりして、渋滞に巻き込まれでもしようものなら想像するだに身の毛のよだつ事態になるから、そういうものには決して乗らない。

幸い、クシャミをしたら「あ、出ちゃった」という経験はまだないので、おむつを装着してからでないと外出できないという状況には至っていない。(しかし、出たか出てないかを自分じゃ認知できない人の割合は、増加の一途をたどっているようだ)

ワシの現下の問題は、涙腺が劇的に緩くなってきたことだ。

わが涙腺の歴史に触れるなら、予兆は思春期から見られた。国語の授業で宮沢賢治「永訣の朝」を朗読させられていたら突然、変な声を発して後が続かなくなり、クラスメートの脅えたような視線を集めたのが最初だったろうか。

小説を読んだり映画を見たり、歌を聴いたりしていて突如、滂沱の涙に襲われて慌てるような事態は何度もあった。「感受性が豊かなのよ」と気休めを言う人もいたが、なあに単なる「泣き虫」であり、真因は涙腺という分泌器官の脆弱さにある。

近年は、何でもないことで泣くのが〝常態〟と化してきた。映画・ドラマで言うと、ストーリーや場面が「悲しい」とか「感動的」とかいうこととは関係ない。

例えば、もう全作を何度となく見た喜劇映画「男はつらいよ」。普通の人は、時々「ホロっと来る」ことはあっても、大泣きするようなことはないだろう。

ところがワシときたら、脚本・演出や俳優の演技を「うまい!」と感じた途端、もうダメです。涙が止まらなくなる。さながら平成の「子泣き爺」=上図=である。

病院に行くとしたら眼科だろうか、内科だろうか、それとも精神科だろうか。