財布の中の紙幣についてお尋ねします(続き)

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治五郎が尊崇する内田百閒先生が、どこかで「一度、こんなことがしてみたい」という〝夢〟を語っている。(例によって、出典を明示できる記憶力がワシにはない)

武器を持って金融機関に押し入る。銀行強盗=写真=である。百閒先生は妄想のスケールが常人とは違うので、標的は確か日本銀行本店だったと思う。

「金庫にある紙幣を全部、ここに出して並べなさい」。行員が脅えて言葉に従う様子を確かめてから、おもむろに次の命令を下す。

「表裏も上下もバラバラじゃないか。これをキチンと並べ直しなさい」

何時間かで終わる作業ではないと思うが、それを見届けた百閒先生は満足顔で(何も奪わずに)悠々と外に出て行くわけである。(カッケー!)

こういう変な「夢」に、ワタクシは強い共感を抱いてしまうのですよ。(類は友を呼ぶ、と申しましょうか。あるいは同病相憐れむと申しましょうか)

ワシが百閒ワールドにハマったのは20代後半のことで、当時は縦のものを横にすることが出来ない極度に几帳面というか神経質な性分だった。今は、机の上などは乱雑でないと落ち着かない。

性格というものは血液型と違って、生きているうちに変化するものである。ただ、財布の中の紙幣の並べ方のように、どうしても変わらない部分もあるわけです。