芸術を理解できないのかもしれない私

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 いつも名画に接していないと落ち着かず、居ても立ってもいられない状態(の人)を俗に「絵ロス」と言う。「エロス」の語源である。(そんなに顔をそむけないで)

治五郎には、昔からピカソの絵=写真左=が理解できない。大天才と言われるから、その気で見ても、ダメだ。目・鼻・口の配置やバランスからして、奇をてらい過ぎじゃないでしょうか。こんな顔の人間、いないよ。どこに「美」があるのか? 雑誌「ビッグコミック」の表紙(似顔絵)の方が、芸術的な肖像画と言えないか?

世界中が認めていても、自分に分からないものは分からない。「ワシは芸術というものが理解できない人間なんだな」と悟って、落胆の日々を過ごした時期もある。

そんな時に「ピカソの絵が分からない人は、分からないと表明する勇気を持て」的な文章に出合った。かねて愛読していた随筆家の故・江國滋さん(直木賞作家・江國香織さんの父君)である。彼もまた、ピカソの絵はどこがいいのかサッパリ分からなかった。こういう人が一人でもいてくれると、かすかながら生きる希望が湧いてくる。

オペラというもの=写真右=も、ワシにはよう分からん。新明解国語辞典で「オペラ」を引くと、ただ一言「歌劇。」で済ませている。「歌劇」を引けば、それなりの説明はあるのだけれども、どうやら新解さんという人(辞書)もオペラは苦手と見た。

「ミュージカルが嫌い」と公言して話題になったのはタモリだが、ワシの場合はオペラもミュージカルも「嫌い」なのではなく、「よく分かりません」と言うしかない。

例えば、相手に好意を抱いているという微妙で密やかな感情を表現するのに、どうして美声を張り上げて高らかに歌ってみせる必要があるのか。「情緒」というものが全部ブチコワシになるとは思わないのだろうか。

「分からない」というしかない世界である。(ワタクシの方が変なのでしょうね)