レンコンは、どこが旨いか?
「それはね、『穴』です。想像してみなさい。もしも蓮根=写真左=に穴があいていなかったら、あんなもん、輪切りにして食ったって旨くもなんともない」
治五郎が知る限り、こういうことを言った人は我が「百鬼園」こと内田百閒先生が最初である。(なんという慧眼、なんという洞察力!)
「中に何も無いこと、空っぽであること」が肝心なモノは、いくらでも存在する。たとえば、この瓶とグラスね(もう飲んでるのか、外はまだ陽が高いぞ)。器というものは中が「無」「空」だからこそ、そこに水や酒を入れることができるのだ。
「無用の用」という言葉がある。新解さんによれば [普通の意味では役に立たないとされているものが、何かの場合には非常に役に立つということ] だ。
百閒という文学者の発想が非凡なのは、この「役に立たないこと」と「役に立つこと」の間に厳然と横たわる障壁を、ヒラリと飛び越えてみせるところにある。
<阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分でもちろん阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないというわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う>
日本随筆史上に燦然と輝く「阿房(あほう)列車」シリーズは、こう書き出されている。1950年の10月、61歳の百閒は東京発の特急「はと」=写真右=に乗って大阪に向かった。なにしろ鉄道マニア(乗り鉄)の〝元祖〟である。到着すれば、用はないから東京に引き返すだけだ。
この調子で、百閒は北海道を除く全国各地へ「阿房列車」で出かけた。忠実な〝従僕〟たる国鉄職員「ヒマラヤ山系」こと平山三郎とのトボケタ会話に、いわく言い難い味がある。こんな紀行文を、ワシゃ後にも先にも読んだことがない。
「百閒病」に罹患してから36~37年。病歴は、糖尿病のそれよりはるかに長い。百閒病の厄介なところは他人に感染させたくなることだから、皆さん気をつけて下さい。