「ブレーキとアクセルを踏み間違えたかもしれないが、よく覚えていない」

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先日、吉祥寺で車が暴走して7人だかに怪我を負わせた容疑者の供述である。85歳の弁護士だという。(写真は、単なるイメージ。他意はありません)

死者が出なかったのは幸いだと思うが、この際、事故を起こした老人(及び同年代の人々)に、少し酷だとは思うが申し上げたいことがある。

「あなたは一体、いつまで生きれば満足しますか? 100歳ですか110歳ですか? それとも120歳を超えてギネスブックに載りたい? まだ何か、やり残していることがあるんでしょうか。85歳で吉祥寺駅周辺をドライブするなんて正気の沙汰じゃありませんぜ、悪いけど」

治五郎は今年、64歳と2か月で運転免許証を返上した。ブレーキとアクセルを踏み間違える可能性が出てきて、そうなってまで「経済活動」「社会生活」を営みたくはないと思ったから。(本当は、もう何十年も運転なんかしたことないんだけどね)

「自分はまだまだボケちゃいない」と思い込むこと、それがボケてきた証拠ではないだろうか。事故を起こして人を傷つけ、タイトルのような供述をする段になって初めてボケという現実を突きつけられ、愕然としても手遅れなのである。後悔先に立たず。

野生のゾウは(野良猫もそうだが)、死期が近づくと本能的に察知して行方をくらますという。人間は本能においてそういう「悟り」には程遠いものと見える。

一度でも街中でブレ-キとアクセルを踏み間違えれば、必ずや〝無辜の民〟が犠牲になる。それを承知で、「自分に限っては大丈夫」と運転を続ける。そこんところがワシにはよく理解できんのじゃが。(85歳の弁護士にだけ言っているんじゃないよ)