東京都内で富士山に登った

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名山というものは登ったりするものではなく、遠くから仰ぎ見てその姿を愛でるべきものである。治五郎は昔から、そういう穏健な思想を抱いている。

日本人だから富士山=写真左=が嫌いなわけはないが、何合目からにしろ登頂してみようという意欲も体力も、とっくに失せた。(今は高尾山でさえ気が向かない)

富士山は、特に世界遺産になってからは猫も杓子も登りたがるようになった。ワシはブームというものから目を背ける体質が抜けないので、もう意地でも絶対、登らないことに決めている。(登ろうとしても無理なんだってば)

 

先週、某旅行雑誌(ええい、隠してもしようがない「旅行読売」です)の編集部から取材の依頼(打診)があって、富士山がどうとか言うから断りかけたが、本物の富士山ではなく都内に残る江戸時代の「富士塚」を3か所ほど訪ねてほしいという。

富士信仰になら興味がないではない。いつか駒込界隈を散策していたら、迷い込んだ神社の境内で富士塚に遭遇した。富士山に見立てた人工の塚山なのだが、密教修験道の怪しい雰囲気が漂い、ひとことで言うと「面妖」。これに登れば富士登頂と同じご利益にあずかれるというので、今も信仰する人が多いんだそうだ。

というわけで昨日は北品川、千駄ヶ谷護国寺富士塚を回った=写真右は品川富士の〝登山道〟=。いずれも面妖ぶりは甲乙つけがたい。高いものでも15メートルだから、ワシでも遭難のおそれはない。ただし急傾斜の岩場があるから、よろめいて転落したりすれば救急車の世話になる可能性もゼロではない。

同行した女性フリーカメラマンが、登拝客になったつもりで写真のどこかに(目立たない程度で)写っていてほしいと言う。「右足を一段上の岩に」とか「顔は左の木の方に向けて」とか、注文が多い。ワシも現役記者時代はこういう調子で写真を撮ったものだが、立場が変わるとだんだん不機嫌になってきた。勝手なものである。

護国寺の石段で猫に構っていたら、膝に痛みを感じた。富士塚のせいというより、乗り換え駅が多かったので階段(エスカレーターのない下り)がこたえたようだ。何日間かは尾を引くに違いない。

ご利益などに興味のない不信心者が慣れないことをすると、こういう罰が当たる。