美人ではないと判定された女は、どうなるか?

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即答します。どうにもなりません。(絶望的だという意味ではなく、逆に「必ずどうにかなるものだ」という意味です)

<自分が美人だと気づいていない美人はいないか?>という記事をアップしたのは3日前。ブログの「アクセス解析」によると、この日だけアクセスが急増した。前にも1、2度そういうことがあったが、タイトルによって読者が増えたり減ったりするものなのかどうか、その辺の仕組みが治五郎にはよく分かっていない。

 そもそも「美」とは主観的なものだろう=写真は、明治時代に物議をかもした黒田清輝の「朝粧」=。それを客観化しようとするから面倒なことになるのだ。美人の判定基準は、甘くすれば国民全体の66%、厳しくすれば99%が美人と認めるかどうかにかかっていると言われる。(ホンマかいな)

問題は、どんなに基準を甘くしても「明らかに美人ではない」と判定された場合であって、ワシなどは寛容な方だから「決して美人とは言えないが、まあ十人並じゃない?」で済ませるが、実社会というものは辛辣で残酷な側面を有するから、醜女(しこめ)とかブスなどという身も蓋もない言い方が横行する。

昔は「悪女」といえば、中島みゆきが歌っているような意味ではなく「醜女」の同義語だった。「悪女の深情け」が好例だ。このことわざを、新明解国語辞典はどう説明しているだろうか。

【悪女の深情け】醜い女性に限って愛情がこまやかであったり嫉妬深かったりして、男の方でいい加減いやになってもなかなか縁を切る機会が得られないものだ。[俗に、ありがた迷惑の意にも用いられる]

 他の辞書には真似のできない新解さんの本領、それは「いい加減いやになっても」の一言にあるとワシは思う。ここに新解さんという一人の男のほろ苦くて深い人生経験が凝縮し、底光りを放っている。

蓼(たで)食う虫も好きずき[=人の好みはさまざまで、外部からは分からないものだ]ということわざもある。「なるほど」と納得させられる実例に出会う機会は多い。

結論。美人ではないと判定されたからといって、それがどうということはない。一般的傾向として、よく「美人は冷たくてブスは明るい」と言う。世の中というものは結構、うまく出来ているような気がする。