「壁に耳あり 障子に目あり」の最近事情

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立ち聞きとか覗き見とかいう行為は、人間の哀しい本性(の一部)であるから、一概に排斥するわけにはいかない。壁がどうとか障子がどうとかいう話は「ものの譬え」であって、「悪いことをすると、誰も知らないと思っていても必ずバレるものです。気をつけましょうね」という、古人のヤンワリした教えなんだと思う。

が、平成の世も末期に差し掛かった現在、壁の耳と障子の目は「譬え」どころではなく極めて即物的で先鋭な装置と化し、あまつさえ絶大な証拠能力を誇るに至った。

もう落選してタダの人になったから実名は伏せるが、「このハゲ~! 違うだろ~!」の女性衆院議員ね。あの騒動の主役は彼女自身でも週刊文春でもなく、小さな1個のボイスレコーダー=写真=だったと言えないだろうか。

主君の横暴に脅えた元秘書(中年男性)がコッソリ録音して週刊誌に駆け込んだわけだが、あの記録によって豊田さん(あ、言っちゃった)は最初から逃げ場を失った。どんな言い訳も通用しないのだ。

テレビがまた朝から晩まで流すもんだから、独特な人格が滲み出た真由子さん(あ、また言っちゃった)の声と言葉は、全国民の耳にこびりつくことになった。(髪の量を気にしているどこかの中年男性が、夜中にうなされるケースもあったやに漏れ承る)

 つい最近では、某A新聞のスポーツ部記者(35)が電車内で若い女のスカートの中を盗撮している姿をスマホで撮られ、通報によって現行犯逮捕された。これもスマホの映像がある以上、どうしたって言い逃れはできない。

撮影したのは某Nテレビのカメラマンだが、もちろん相手がA紙記者と知っていて狙ったわけではなく、たまたまである。犯人が普通のサラリーマンやアルバイトだったらニュースバリューはないが、A紙記者だったばかりにNテレのみならずY紙もM紙も、そしてA紙も実名で報道することになった。彼が記者を続けることは不可能だ。

ことほどさように現代の「壁の耳」と「障子の目」は、イケナイことをした人に対して生殺与奪の権を握るようになった。天網恢恢、疎にして漏らさず。

少し付け足すなら、事件を明るみに出した〝お手柄〟の元議員秘書もNテレのカメラマンも、顔や実名を世間には知られまいとする。それは録音(録画)が相手から了解を得たものではなく、気づかれないようにコッソリと行われたものなので、後ろめたいというほどではなくても何か堂々と胸を張れないところがあるのだろう。

「ああ、自分のボイスレコーダースマホ)によって、この女(男)は一生を棒に振ることになるのか」という一種の感慨、惻隠の情が芽生えたとしても不思議ではない。現代の「壁の耳」や「障子の目」の複雑な心境を、治五郎はそのように忖度する。