他山の石の上にも三年寝太郎
「他山の石」+「石の上にも三年」+「三年寝太郎=絵は『まんが日本昔話』より=」
一見、何のつながりもないことわざや民話の題名なんだけれども、よくよく吟味すると三つに通底する何かがあるのではないだろうか。三つをつなげると、個別の意味とはまた次元の違う味わいというか、新鮮な価値が出てくるような気がする。
この現象は、専門家の間で「複合俚諺(りげん)」と呼ばれている。(ウソです。治五郎が勝手につなげてみて、一人で悦に入っているだけ)
ワシは他山の石の上で寝るようになって、かれこれ五年。就寝中に見る夢にも、以前とは大きな変化が観察される。
まず、淫夢すなわちエッチな夢を見ることが全然なくなった。それはもう見事なくらい絶無だ。見るにヤブサカではない(というか、たまには見たい)のだが。
空を飛ぶ夢も、見なくなって久しい。山田太一の小説に「飛ぶ夢をしばらく見ない」という名作があったが、ワシの場合「しばらく」どころではない。
昔は、夢の中とはいえ飛び方に自信があった。離陸方法や羽ばたき方に限らず、下を歩いている人に気づかれないコツというものもある。「いま自分は飛んでいる」ということを意識すると墜落するので、決して意識してはいけない。あの楽しみを失った。
代わりに、よく見る厄介な夢がある。本を読んだり調べごとをしたりしている夢だ。
そこに何が書いてあるかは、自分で考えなければならない。小説を読んでいる場合だと登場人物の名前や性格設定、ストーリーまで、ワシが作者の代わりに考える。これはアンタ、想像を絶する難行ですぜ。起きていて実際に小説を書く方が、よっぽど楽なのではないだろうか。(目が覚めるとグッタリ疲れてますもん)
最近は、これに「忘却力」というものが加わった。「ものすごく面白い夢を見たんですよ。ただ、どういう内容だったかは覚えてない。酔って熟睡しちゃったもんで」
フロイト博士は、この男の夢をどう分析するのだろうか。