「予定調和」と「お手盛り」

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某N放送協会の番組について、治五郎がどうしても気に入らないこと。それは「のど自慢」に代表される「予定調和」主義のニオイにある、ということは以前も書いた。

ここで言う予定調和とは、哲学者のライプニッツがどうとかモナドがどうしたとかいう難解な話ではなく、「何のトラブルもハプニングもなく予定どおりに終わる」(ことが最初から約束されている)というくらいの平易な意味である。

のど自慢に99歳のお婆ちゃんが出場すれば、歌の出来には関係なく「特別賞」が与えられることになっている。99歳に対抗して98歳のお婆ちゃんが同時出場することは決してない。98歳が特別賞を取ったら99歳の方は立場がなくなるからだ。

 

大みそかの「紅白歌合戦」に出場する歌手(というか集団)の顔ぶれが発表された。治五郎くらいの年になると、見たことも聞いたこともない横文字だらけで誰が誰やら見当もつかない。だから番組自体に難癖をつけようというのではない(わけではない、とは言わない)が、ワシが某日本H協会の番組に感じる違和感には、予定調和の他に「お手盛り」という要因もあることに思い至った。また新解さんを引こう。

【御手盛(り)】[支配的な立場にある者が]自分たちの仲間うちに都合のいいように取り決めること。[もと、自分で好きなだけ食物をよそう意から]

 支配的な立場にある者が、自分で好きなだけ食物=写真は牛丼=をよそうのである。

出場メンバーには最近、連続テレビ小説の主題歌を歌った人が二人も入っている(一人は交渉中の由)。仲間うちに都合のいいように取り決めていないだろうか。

某日本放送Kは、この手法に基づく番組宣伝が極めて多い。「ごごナマ」にしろ「鶴瓶の 家族に乾杯」にしろ、はたまた〝先祖もの〟にせよ〝名字もの〟にせよ、ゲスト出演者をよく見ると大河ドラマや朝ドラに出ている「仲間うち」だらけだ。

日本放送協会はCMをやらないもんだとばかり思っていたが、なかなかどうして広告・宣伝の上手な公共放送なのだった。(しかしワシも結構よく見てるよね)