「いいね!」をイヤだね、と感じる困った性分

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別に批判したり非難したりする気は全然ないんですよ。ただ、治五郎はやっぱり「みんんなが向かう方向に、自分は行きたくない」という歪んだ性格を変えられない。

新しいものが嫌いな方ではないので、だいぶ前にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)なるものが登場して広がりだした頃は「ほほう」と関心を持った。ミクシィフェイスブックを始めてみた時期は、年齢の割に早い方だろうと思う。

しかし、半年も続かなかった。「いいね!」=マーク=が、どうもイヤなんですね。そんな発信を、いちいちしたくない。なんだか義理っぽいし第一、大儀である。

家族や恋人や愛人とどこそこへ旅行中だとか、このレストランのパスタが絶品だとか、写真付きで報告されてもしようがない。「あっそ、どうでもいいね!」なのだ。

ツイッターだろうがラインだろうがインスタグラムだろうが、ワシだってその気になればやって出来ないことはないと思うが、やる気が100%無い。

この心理を追究すると、「匿名」と「要返信」への反発に突き当たる。「27歳、細身のセレブな女」の正体が実は「64歳、単なるデブの貧乏男」かもしれないし、「40歳・公務員」が「40歳・やくざ」の可能性もある。そうした「匿名」と「要返信」がもたらす悲喜劇が、現実に毎日のニュースを賑わしているではないか。(そこの姉ちゃん、一緒に自殺してくれそうな相手をネットで探したりなんかしちゃいけないよ)

その点、ブログは人畜無害だ(中には、当ブログのように「毒にも薬にもならない」という代物も少なくないようだが)。ブログというものは基本的に、活字中毒系の病者が一人で書いたり読んだりして穏やかに生きるための〝常備薬〟なんだと思う。

てなわけで、今宵は大好きな島田荘司のミステリー「写楽  閉じた国の幻」(上下、新潮文庫)を読み始めております。(また徹夜か。いいけど)