なもまんだなんぼほんずねばな!

f:id:yanakaan:20171123223056j:plain f:id:yanakaan:20171125082640j:plain

 

「おい治五郎、大丈夫か? いま何と言った? とうとう脳をやられたか?」

「いや、まだ大丈夫です。今後ときどき、本州では一、二の難解さを誇る『津軽弁』の講義をしようと思っているので、今回はその導入部にあたります」

「今この時、日馬富士の引退について何も言わなくていいのか?」

「明日の朝、八角さんや伊勢ヶ浜さん、貴乃花さんと相談してからにします」(ウソ)

 

タイトルに掲げた14文字はどういう意味か、そもそも意味なんてあるのか? と思う人がほとんどだろう。しかし、青森県津軽地方=写真左は〝津軽富士〟岩木山=に生まれ育った人で、これが分からなかったらモグリである。津軽出身者なら歌手の吉幾三五所川原市)も大相撲の伊勢ヶ浜親方(つがる市)も安美錦深浦町)も、意味が分かるばかりではなくスラスラと正確に発音できるのである。

14文字を分解してみよう。「な+も+まんだ+なんぼ+ほんずね+ば+な」となる。

「な」は「汝」、「も」は「も」、「まんだ」は「また」、「なんぼ」は分かるよね。「ほんずね」は「ほんず+ね」に細分化できるが「愚かである」、「ば」と「な」は助詞。全文を共通語に翻訳すると「お前もまあ、なんてバカなんだよ!」となる。

泥酔して財布を失くした息子を、親がののしったりする時によく用いられる。もしも暴行事件を起こしたのがモンゴル人の日馬富士ではなく、津軽人の宝富士や安美錦だったら、トイレなどで会った時に親方は「なもまんだ・・・」と叱ったに相違ない。

「これが同じ日本語か?」と感じるだろう。早口で言われたら、もうほとんど外国語である。津軽人はバイリンガルでないと生きられない。その精神的負担、重圧たるや推して知るべし。聞くも涙、語るも涙の過酷な宿命を背負わされているのだ。

 

昔、「ブルースの女王」と呼ばれた歌手・淡谷のり子(1907~99)=写真右=が出演したコマーシャルに「たいした たまげだ」というのがあった。「とてもビックリした」という意味だが、その文法構造を解析してみる時、人は青天の霹靂のごとき驚愕を覚えないわけにはいかない。「共通語とは文法までも違ってる!」と。

「大した」というのは連体詞であるから「大した男」「大した度胸」のように、必ず体言(主に名詞)に続かなければならない。「たまげる」という動詞(用言)に続くことがあってはならないのだ。嗚呼、それなのにそれなのに。

 

・・・ずわげだはんでろ~、津軽弁ごとばずっぱど勉強さねばまいねや(というわけだからさ、津軽弁をしっかり勉強しなきゃだめだよ)。あ、もう誰も聞いてない!