新明解国語辞典(第四版)における「動物園」の定義

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【動物園】生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。

これを初めて読んだ時の衝撃は、いまだに忘れられない。「確かに言えてるような気もするが、一般向けの小型国語辞書がそこまで言っていいものだろうか?」

上の語釈は1989年の暮れに発行された第四版(ワシに言わせりゃ新解史上の最高作)に載ったものだが、他の辞書が「旅」を引けば「旅行」、「旅行」を引けば「旅」と書いているのとは全く違う。「辞書の中の辞書」に惚れ込んだのだった。

第四版当時の編集主幹は山田忠雄(故人)という国語学者で、彼について語りだせば 何日もかかるから、今日はやめておく。(後日、語りだしたら大変だぜよ)

上掲写真を、よくご覧なさい。こんな、あられもない痴態をパンダはどうして人目に晒されなければならないのか。彼らにだってプライバシーがあるでしょう(ないか)。人権ならぬパンダ権というものがある(ないのか、ドン!)。

 「人間中心の施設」にワシは激しく感動した。ワイルドとかナチュラルとか、外来語はあまり使いたくないが「野性の雄たけび」と申しましょうか、あるいは「遥かなる山の呼び声」と申しましょうか。ここには安藤昌益(1703~1762)の大著「自然真営道」にも通じる深い思想・哲学が脈打っている。

版を重ねた新解さんは現在、第七版。動物園問題はどうなっているだろうか。

【動物園】捕えてきた動物を、人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として一般に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設。

う~む。山田忠雄の高邁な識見は確かに継承されているが、「狭い空間」「飼い殺し」「人間中心」などパンチの利いた魂の言葉が消えたのは、やはり寂しい。

 

当ブログの読者には、治五郎も及ばぬ新解さんファンが存在する。「あの辞書は、三版以前でも五版以降でもいけない。四版の新明解だけが本当の新明解だという事を、いつか世間に訴えてください」というリクエストをいただいた。泣いたね、ワタクシは。