〝カルチャーショック〟の本質を考える

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きのう中米から帰ってきた。いやあ、大変でした。(ウソで~す。昔の話)

グアテマラ(写真左は染織物)に1週間、引き続きドミニカ共和国(写真右はそこいらのビーチ)に1週間という取材旅行をしたことがある。イケメンの写真部員と一緒だ。マイアミの空港で飛行機を乗り換える際、荷物だけがハワイかどこかへ行っちゃったりして非常に難儀したのを覚えている。珍道中だった。

イケメンというやつは、海外へ行ってもモテる。治五郎はスペイン語圏は初めてだったので、なんとか日本人通訳を見つけた(イケメンという程ではない彼も相当、面白い経歴の持ち主だった)。現地の女性に取材すると、相手は治五郎でも通訳でもなく岩佐譲カメラマンに向かって話すのである。(チキショー)

 グアテマラの話は別途するとして、ドミニカで驚いたのはハポン(日本)という国の知名度がゼロだということ。こっちも、ドミニカがどこにある国かは行くまで知らなかったんだから大きいことは言えないが、よく「ハポンまではバスで何日かかるのか」と聞かれた。

フリオという名の漁師と親しくなり、大きな伊勢エビを確か1匹70円ぐらいで2匹買った。相棒は旅慣れているから、小型まな板やナイフ、醤油、わさびなどを携行している。砂浜で舌鼓を打っていると、7~8人の子供たちに取り囲まれた。(信じられない、ナマで食ってる! なんという野蛮な人種なんだ!) あれほどの驚愕と蔑意に満ちた視線を、ワシは後にも先にも感じたことがない。

子供の一人について行くと、全員が兄弟姉妹だった。14歳の長女は他家へ嫁いで、もうすぐ母親になるという。(この辺はモンゴルの遊牧民と同じ)

親が日本の「食」に興味を示し、さすがにスキ焼やカレーを振る舞う用意はしていないので「緑のタヌキ」か「赤いキツネ」を皆で食べる。

スプーンを差し出された。食器(使い捨てのプラスチック容器とはいえ、食器は食器)に直接、口をつけてスープをすするなどという行為は「下品」なのだ。そのマナーを弁えない人種に対して、今度は蔑みというより憐れみの表情が浮かんでいた。(生まれてきて済みません)と日本人は己を責めるしかない。

【カルチャーショック】〔culture shock〕それまでに全く経験したことのない異文化に接して、物の考え方や生活様式・社会慣行の相違に強い違和感を感じること。文化(的)衝撃。

 違和感といえば違和感だし、衝撃といえば衝撃なんだけれどもワシの場合、こっちの側に身を置く方が案外、日本より生きやすいんじゃないか? と感じる傾向がある。

カルチャーの違いとは結局、何を「貧」と感じ何を「富」と感じるかの違いなのではないか。毎日、日本のニュースが伝える出来事を見聞すると、日本人は「富」を追求しすぎた結果、それと遠ざかっているような気がするが、治五郎の論理に従えば「それでいい」ことになる。

分からなくなってきました。