本は天下の回り物

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半年以上も住めば、治五郎庵を訪れる変人も実数で十数人(延べだと数十人)になんなんとしている。(この部屋には何かが足りない)と感じる人が多いようだ。

当ててみましょう。それは「本棚」ではありませんか? (写真はどこかの古本屋)

(変だなあ。治五郎という人は大読書家というほどではなくても、いろんな本をそこそこ読んできた人のようにお見受けしたんだが・・・)

うん、それはね。ワシも昔は小さな古本屋を開けるくらいの書物は所有しておったんじゃよ。しかし後半生は転居に次ぐ転居という境遇に相成り、モノを保有することに煩わしさを感じるようになって、いわゆる「断・捨・離」を早めに励行してきた。その結果、今は台所の食器棚の下方に手放し切れなかった本が少々残っている程度だ。

作家・井上ひさし(1934~2010)が郷里の山形県川西町に建てた「遅筆堂文庫」に行くと、寄贈された22万点だかの蔵書や資料が並んでいて頭がクラクラする。

「子供より古書が大事と思いたい」という本を書いた仏文学者の鹿島茂は、稼げども稼げども古本(特に稀覯本)代に消えてしまうのを嘆いて(実は喜んで)いた。蔵書家というものは、度を超して病膏肓に入ると手に負えないようである。

【金は天下の回り物】金は常に流通するもので、今たくさん持つ者もやがては失い、今少しも持たぬ者もいつ手にするようになるか分からない、という教え。

本もまた、天下の回り物ではないだろうか(急に増えることはありえないが)。墓場まで持っていける物は何もないのであるから、なるべく減らしておく方が利口だろう。