〝文症〟という奇病について

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「治五郎はんは、ブログを1日も休みまへんな。失礼ながら質量ともに大した内容とは思えへんけど、毎日書くことにストレスを感じることはありまへんのか?」

「へえ、そこですねん。ストレスは、ま~ったく感じまへんのや」

これは「文症」とでも称すべき、かなり難しい病気の一種なのである。

ワシが発症を自覚したのは、高校2~3年の頃。剽軽なことを言ったり物真似をしたりして級友を笑わせる能力が全然ない代わりに、文章でそれをやることにとりつかれたのだと思う。発揮すべき場所は、もっぱら「学級日誌」だった。

例えば、前夜に放送された「巨人の星」(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)=絵=について、主人公の「飛雄馬」を引き合いに出して「ヒューマニズム」とは何かというような議論を強引に展開する。

いま思えば内容はバカバカしいものだったに違いないのだが当時は、授業中に回し読みしているクラスメート(特に女子)がクスッと笑う気配を感じると、ゾクッとくる快感を覚えた。憎からず思っている娘がプッと噴き出して先生に一瞥されようものなら、天にも昇る心地がした。

日誌の当番が回ってくると徹夜なんか平気。こうなると、もう「性癖」を通り越した立派な「病気」だろう。あれから50年、ワシはこの奇病から常に逃れられなかった。

とにかく何か文章を書いていないと落ち着けない「文症」。新聞記者になったのも、思えばこの奇病のせいだった。特ダネを書きたいとか大所高所から物を申そうとかいう気持ちは皆無。社会正義? そんなもん、ありますかいな。(すんまへんな)

文化部の中堅記者になって読書面を任され、今も続いている「本 よみうり堂」を始めた際に、読者の投書を募って初代「店長(おやじ)」が文章による掛け合いを演じることにしたのにも、実はそんな背景があった。

退職後は中断していたブログを再開して以来、何のストレスもなくなったことに、これで納得してもらえますやろか。