湯沢の仇を江戸で討つ

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 ちょうど1か月前だ、「旅行読売」の取材で新潟・湯沢温泉=写真左=へ行ったのは。人妻を同伴したが、彼女はフリーカメラマンで仕事なんだから道徳的に問題ナッシングだという話は、もう書いた。文春砲よ、来るなら来い! (来ないって)

革靴やスニーカーで雪道を歩くことの大変さを知っているから、雪国仕様の長靴=写真右=を買って(というか買ってもらって)、東京から履いていくと築地市場で働く人みたいだから、リュックに入れて背負って行った。

ところが湯沢に着いてみると、クリスマス前のこととて積雪 が少なく、テーマが川端康成の「雪国」であるにもかかわらず長靴の出番はない。大枚(?)をはたいたというのに、また背負って帰るしかなかった。この恨み、晴らさでおくべきか!

そしたら、東京で大雪だ。思わず頬が緩もうというものではないか。

何の用もないけれど、ちょっとそこのコンビニまで歩いてみる。赤い鼻緒のジョジョを初めて履いたミーちゃんみたいな心境である。

帰宅を急ぐ荒川区在住の勤労者諸君が滑る足元にワッとかキャッとか言いながら歩いているのを尻目に、雪道の正しい歩き方を披露してきた。(ふん、ラチもない)

【埒も無い】とりとめも無い。

【取り留め】(はっきり認められる)目的やまとまり。「いつまでもー(の)無い〔=一貫性に欠け、要領を得ない〕ことを言っている/ーも無く想像する」

明日は歯医者という、はっきり認められる「目的」があるから堂々と、雪が解けないうちに履いて出掛けてこようと思う。