「街の灯」に学んだこと(その1)

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チャップリンの『街の灯(ひ)』は、治五郎が最も好きな映画の一つである」

自分で言っといてナンだが、この文章がワシは気に入らない。腹が立つ。なぜか?

「最も~」と「~の一つ」との間に許しがたい二律背反性が認められるからである。明らかに欧米文化の好ましからざる影響を受けている、と思う。

我が国の小型国語辞書で最も信頼できる新明解国語辞典は、「最も」をどう説明しているだろうか。

【最も】程度に関して  、同類の中の一方の極にあって、それ▵以上(以下)のものが無い様子。

「大好きな映画の一つ」なら全く問題ないのだが、ワシは「七人の侍」も「東京物語」も「砂の器」も大好きで、ジャンルが違うから、どれが一番と言うことはできない。

「街の灯」=写真=は万人が知る通り、全盲の貧しい花売り娘に(同様の)貧しい主人公が恋をする切ない物語だ。相手からは「大金持ちの親切な紳士」と思い込まれ、いろんな滑稽シーンが展開するわけだが、優れた喜劇というものが見ていて泣けるのは、それが人生の「真実」を照射するからだろう。うむ、なかなかいい話になってきたが、今晩(と明晩)はそれが言いたいのではない。「最も」と「一つ」の問題だ。  

ワシの好きな(最も好きというほどではない)作家・清水義範の傑作に「永遠のジャック&ベティ」(講談社文庫)がある。英語の教科書に出てきた少年と少女が、大人になって再会したらどうなるか・・・。

「オー、あなたは世界中で最も美しい女性の一人です」

こんな言葉を口にする日本人がいるだろうか。でも、授業で先生から「訳しなさい」と言われたら、我々は全員がそう訳してきたのだ。おかしい。とてもヘンだ。

ワシがジャックだったら「おいおい、スッゲー美人になっちゃったなあ」と正しく訳したことだろうが、今となっては虚しい空想なのであった。