年寄りは聞こえないふりをする、という俗説の真偽

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それは、一概に「真」とも「偽」とも言えないのではないでしょうか。

治五郎が、ここ1~2年で自覚し始めた変化の一つに「耳が少し遠くなってきたのではないか」という問題がある。面と向かっての会話に支障はないが、いつの間にかテレビの音量を大きくしている自分に気づくことがある。

近所にある地蔵寺の鐘の音を、ややもすれば聞き逃す。あの楽聖ベート-ベン=画像=だって突然、ある日を境に全く聞こえなくなったわけではないことを思えば、ワシは近いうちに補聴器が必要になっても不思議ではない。(むしろ自然)

台所にいるモンゴル妻の声が時々、十分に聞き取れない。「この味つけは、ちょっと ✖ ✖ かもね」。この「✖ ✖」部分は「しょっぱい」なのか「酸っぱい」なのか「失敗」なのか、判然としない。部屋が広すぎるからだろうか?(まさかね)

大声で聞き返して、大声でもう一度答えてもらうほどの重要案件とも思えないので、未解決のまま放置しがちである。ま、味の話であれば放置しても構わないだろう。食べてみれば解決する話だ。

俗に「年寄りは聞こえないふりをする」という場合は、その老人にとって都合が悪くて対峙したくない話題を回避するという作戦・知恵を、無視された側が(批判的に)論評していると考えられる。が、現実はもっとデリケートなのではないか。

①聞こえているのだが作戦上、聞こえていないかのように振る舞う ②周りから思われている以上に、本人の聴力が衰えつつある ③答えたくないわけではなく、そんなに聞こえないわけでもないが「まあ、苦しゅうない」という境地

〝三種混合ワクチン〟が必要な現況である。虚実は皮膜の間にあり。