はしなくも口を突いて出た「ウナギ文」
【端無くも】ふとした折に全く予想もしなかった事態に遭遇する様子。
どうしてそんな事態に遭遇したのかを語らねばなるまい。(誰も望んでいまいが)
「俺はウナギだ」という、日本語学では有名な文章がある。英訳すれば〝I am an eel.〟となるわけだが、漱石じゃあるまいし「吾輩は鰻である」と言う日本人はいない。
例えば給料日直後に同僚と昼飯を食いに行って「僕は黒毛和牛のステーキにしようかな。治五郎さんは?」「俺はウナギだ」。(どういう店へ行ったんだ)
ごく自然な会話なのだが、「俺はウナギだ」は「ウナギ文」と呼ばれるほどになった。なぜ「ステーキ文」や「かつ丼文」ではなく「ウナギ文」が定着したのか? それはまた今後の難しい研究課題である。
んーっと、何だっけ。あ、端無くも口を突いて出たウナギ文の話ね。
病気療養中だった妹から、見舞い御礼らしいギフトカタログが届いた。治五郎にとって菓子や衣類は迷惑なだけだから、こういう選択余地の多い贈り物は嬉しい。貧しき夫婦が額を寄せ合ってカタログに見入る場面を想像して見給え。
「俺はウナギだ!」
言ってから「あ、これが正真正銘のウナギ文だ」と気づいた次第である。