「後は野となれ山となれ」という思想
ヤホーで「野山」を画像検索すると(えっ、Yahoo はヤフーって読むの? お笑いコンビ「ナイツ」の塙クンの真似です)、最初にこれ=写真=が出てきた。しかし今は野や山の話がしたいのではない。
優れた辞書とは「調べる」ものではなく「読む」ものだ、というのが治五郎の持論なので、暇な時に新解さんを読みだすと急に忙しくなる。難しい言葉より「水」とか「女」など、子供でも知っている簡単な言葉の方が、読みごたえがあるようだ。
【後】の項を読んでいると、「運用欄」に【ーは野となれ山となれ】が載っている。
【ーは野となれ山となれ】当面の事さえ済めば、後はどうなろうとかまうことではない。
「当面の事」って何だろう、と気になってくる。この言い回しを、ワシは「我が亡き後に洪水よ来たれ」と同じような意味に解釈してきたのだが、少し違うのだろうか。
そこでウィッキーさん(Wikipedia)に相談してみると、ルイ15世の愛人がどうしたとかマルクスの「資本論」がどうだとかいう面倒な話になる。(ほら、急に忙しくなってきたでしょ?)
新解さんには「-〔=死んだあとのこと〕を頼む」という用例も載っているので、複合的に解釈すれば「自分の人生と言う当面の事さえ済めば、後は野になっても山になってもいいし、洪水が来ても構わない」ということになるだろう。
ずいぶん勝手なことを言ってくれるじゃねえか! と腹を立てる向きもあろうが、そう決めつけるのもいかがなものか。
「終活」ブームとやらで、自分が死んだら葬式はどうする、墓はどうする、香典や花輪は・・・と何十年も頭を悩まし続ける高齢者が多いようだが畢竟、誰かに「後を頼む」しかないのが人間だ。
その点、ワシのように財産もなく借金もない者は身軽である。後は野となれ山となれ。死後にどうしてほしいという考えは何もありませんね。(死体を都電で運んだりするのはやめてほしいが)