「点と線」でも泣くジジイ

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松本清張「点と線」は、若き日の治五郎が過去に最速で読み終えた記念碑的な小説。時代の波に流されて本格派「探偵小説」から社会派「推理小説」へと、ワシの読書傾向が転換し(いま思うと)誤った道を長年、突き進むことになった元凶でもある。

2007年にテレビ朝日がかなり力を入れて作ったドラマ「点と線」=写真=は、たぶん2度は見ているのだが、BS朝日で「一挙放送‼」しているというもんだから約5時間、また見てしまった。

原作は涙が出るようなストーリーでは全然ないのだが、このドラマには(ワシの涙腺が緩んだせいで)たっぷり泣かせてもらえる。事件の背景と人物像が細部まで丁寧に描かれていることと、主演のビートたけし以下の演技力の賜だろう。(若い男女の老後を演じた宇津井健池内淳子が、この何年間かで故人となった影響もあるかな)

いわゆる「アリバイ崩し」の古典的傑作とされるが、新幹線もなかった時代の犯罪と捜査なので「んもう~、じれったいな!」感は免れない。しかし、結末を百も承知で見ても退屈しない。社会派ミステリーの隆盛には、それなりの必然性があったのだろう。

清張という作家は、ワシに言わせれば〝性悪説〟の権化みたいな人だった。「政治家と官僚の世界を、そこまで悪意に満ちた視線でとらえなきゃならないもんだろうか」と思ってしまうのだが、そこが治五郎の甘いところ。ワシには不正を暴けない。

折しも「森友文書」を財務省が書き換えていた問題で、自殺に追い込まれた役人も現にいる。清張流の「みんな違うが、みんな悪い」が正しいようにも思えてくる。

(まだもう少しの間、ワシは「みんな違って、みんないい」の路線で行きたいんじゃがのう)