東西南北の概念は、これで本当に正しいか?

 

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「治五郎はまた何を言い出すんだ?」と思うだろうが、まあ我慢して聞きなさい。文明論的に見て我ながら、なかなか価値のある話題が展開されそうな予感がするのだ。

上に図示された方位に対して、異を唱える人はいないだろう。上=北、下=南。従って右=東で、左=西。

しかし、北と南の位置を逆にして見たらどうなるか。右=西で左=東になるのではないか。(当たり前だろう、それがどうした? と人は言うだろう)

フッフッフ。(不敵な笑み)

この方位は全世界共通のものであって、どの国の地図でも「北は上」と決まっている。しかし、そういうルールが出来る前から、人類が身体感覚としてこの方位図を共有していたかどうかとなると、実際は上下左右が逆だったのではないかと思われる(少なくとも日本とモンゴルに於いては)。では、それを証明して進ぜよう。

モンゴルへ行くと、ゲル(移動式住居)の入り口は必ず南に面している。これはもう例外なく、そう決まっている。住人がゲルの扉を開けて外に出れば正面が北で、左が東、右が西だ。

だから言葉もズーン(東=左)、バローン(西=右)、ウムヌ(南=前)、ホェト(北=後ろ)と、同じ単語を使う。自分が常に北に立って南を向いているという、この方位感覚は身にしみついている。

日本ではどうか。京都へ行くと(行かなくても)誰もが気づくように、地図の左側に右京区があり、右側に左京区がある。これは北にある御所から見た方位だからだ。

テレビの大相撲中継は「正面」にカメラを置いている。これは、審判長の親方が座っている北側が正面だからで、行司の立っている南側は「向こう正面」と呼ばれる。北から南を見ているので当然、「東方(ひがしがた)力士」は左から土俵に上がり、「西方力士」は右から上がる。東=左、西=右という、地図とは正反対の方位認識が、日本の国技には昔から根付いているわけだ。

北に立って南を向く。この北東アジアに顕著な方向感覚が、モンゴル人の体内では今も脈打っているのに対して、日本人の間ではそれが失われて久しい。大相撲の世界で昨今、なぜモンゴル勢の力が突出しているかというナゾを解く鍵が、実はここに存在しているのである。

う~む、快刀乱麻とはこのことだろうか。

【快刀】すばらしく切れる刀。「-乱麻を断つ〔=むずかしい事件や問題をあざやかに解決する〕」

(治五郎という老体、やはりただの酔っ払いではなかった。なに、「今の話なら私だって昔から感じていた」ですって? 恐れ入り谷の鬼子母神