「生きざま」と「死にざま」

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治五郎は長いこと「生きざま」という言葉に抵抗があった。「死にざま」には何の抵抗も感じないのだが。=写真は、武蔵と小次郎の生死を分けた巌流島の決闘=

 思うに、ワシのように感じる向きが以前は多数派だったが、次第に減って「生きざま」が幅を利かせるようになると、相対的に守旧派=うるさ型の声が強まった。ところが今日、それが誤りだったことを教えられた。新解さんという人(いや辞書)のお陰だ。

【生きざま】その人の、人間性をまざまざと示した生活態度。〔「ざま」は、「さま」の連濁現象によるもので、元来濁音の「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、悪い寓意は全く無い〕

【死に様】その人の▵死んだ時の様子(死を迎える態度)。〔この語自体には、善悪の評価は全く無い。善悪の観点が分かれるとしたら、その人が大往生したか醜い死に方をしたかの相違が有るだけである。〕「ふた目と見られないー」

どうだろう、頑固な老人を懇々と諭すような、辛抱強い説得だと言えまいか。

【懇懇】ものの道理などを、相手のためを思って、心底から説いて聞かせる様子。「-と諭す」

小次郎いや治五郎、敗れたり!

ワシも明日からは(長くないにしても)正しい生きざまを目指そうと存じます。