漢字変換ミスの楽しみ、今いずこ
日本語ワードプロセッサーというもの=写真=を、治五郎が使い始めたのは確か1987年ごろのことである。当時、作家の清水義範が「ワープロ爺さん」という短編を書いた。老人が慣れないワープロで息子に手紙を書くのだが、漢字変換がうまくいかない。
<幹事にならん名。どうも変な児が出る>。初期のワープロは実際にこんな調子だったから、いま読み返しても抱腹絶倒させられる。
やがてパソコンが爆発的に普及し、2004年には漢検(日本漢字能力検定協会)が〝変漢ミス〟コンテストというケッタイな企画を始めた。<文字の変換を間違えたために同じ読み方でも全く意味が違ってしまい、真意が伝わらなかった変換ミス作品>をエピソードと共に募集し、オンライン投票で優秀作を選ぶという催しだ。
「あほくさ」とソッポを向く人も多かったろうが、ワシはこういう「遊び心」が好きでたまらないから、文化面のコラムでやや詳しく紹介した。
テレビ番組を見逃して<誰か、ビデオとってるやついないか?>とネット仲間に呼びかけたはずが<誰か、美で劣ってるやついないか?>と変換された文章を送ってしまった青年。我が子の病気を担任教師に報告する母親は<うちの子は耳下腺炎でした>と書いたつもりなのに<うちの子は時価千円でした>。大笑いされたという。
「お金は内藤さんに渡してください」⇒「お金はない父さんに渡してください」
「なに言うてんねん ‼」⇒「何言う天然 ‼」
「書く仕事がしたい」⇒「隠し事がしたい」
その後も〝傑作〟は枚挙にいとまない。
「うまくいかない画像サイズになった」⇒「馬食い家内が象サイズになった」
「今年から海外に住み始めました」⇒「今年から貝が胃に棲み始めました」
〝変漢ミス〟コンテストは、もう行われていないらしい。もったいない話である。