「指輪」に好感が抱けない理由

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どうせ、また誤解されるに決まっているんだ。(なら書かなきゃいいんだが、書いちゃうんだよね)

治五郎は「指輪」というものに好感が抱けない。首輪も腕輪も耳輪も、もちろん鼻輪=写真①=もあまり好きではないが、人類にとって「指輪」には独特の意味合いがあるように思う。おそらく、教会での結婚式を連想するからだろう。

牧師「淳一サン。アナタハ一生、志桜里サンダケヲ愛スルコトヲ誓イマスカ?」

淳一「はい、誓います。私はセクハラとも無縁です」

牧師「志桜里サン。アナタハ終生、淳一サンダケヲ愛スルト誓イマスカ?」

志桜里「はい、誓います。不倫は決して致しません」

 人間、ウソをついちゃいかんよ。「~さんダケヲ」に、ワシは強い疑問を感じてしまう。もしも牧師がワシに質問の矛先を向けてきたら、どうなるだろう。

牧師「治五郎サン。アナタハ生涯、コノ女性ダケヲ愛スルト誓イマスカ?」

治五郎「オー、ノー。天ニマシマスいえす様モ『隣人ヲ愛セ』ト仰ッテイルジャアリマセンカ。私ハ、イツカ隣ノ奥サンヲモ愛スルデショウ」

牧師「オー、ノー」

結婚式は、もうメチャクチャである。こういう結婚式(こういうのでなくても)で、必ず執り行われるのが「指輪交換」だ。

指輪は高額なだけに数年後、2~3組に1組は処置に窮する夫婦がいるようだ。(邪推だが、相手を替えて再利用、再々利用する節約家もいるのではないだろうか)

さて、誤解を招かないためには、ここからが重要だ。ワシは「指輪」そのものに好感が持てないだけなのであって、「指輪をしている人」を嫌っているわけでは決してない。(でも、どうせ誤解されるんだよ。グスン)

ワシ自身は、ほんの2度ほど結婚した経験があるが、指輪とは無縁で来た。

会った女性の左手(薬指)に指輪があるかどうかに目が行ったことはない。つまり既婚か未婚かに興味はないんだろう。(どうでもいいのよ)

しかし初対面の男が太い指に指輪をはめていたりすると、つい、顔を見てしまう。あ、アンタ奥さんダケヲ愛しているわけね。(ここを誤解するなっちゅうの)

女性の指輪には別に何も感じないが、男性が指輪を嵌めているのを見ると、つい、顔を見てしまうのは「なんだか伝書鳩=写真②=みたいだなあ」と感じるからだ。

伝書鳩】遠くの土地に通信文を運ばせるように訓練したハト。

朝から夕まで外で働いて、所定の場所へ定時に帰る。伝書鳩には伝書鳩の苦労と喜びがあるんだろうが、ワシには(「社会人」時代全体を通じて)理解できなかった。

伝書鳩が嫌いだと言っているのではないんだよ、何度も言うけど。