「山月記」を絵で見る
自称「百閒病患者」の治五郎ではありますが、内田百閒の文章しか読んでいないかというと、そんなことはありません。確かに百閒文学は出合ったが最後、「中毒」「依存」から逃れられなくなる覚醒剤みたいな存在で、村上春樹の新作を読む時間があったら百閒をもう一度読みたい、とワシは思ってしまうのですが、人はパンのみにて生くるにあらず。ほかにも「読まずに死ねるか」的な作家が何人かおります。
その一人が中島敦(1909~1942)で、ワシがどのくらい好きかと言うに、生まれた娘に「敦子」と命名したほど好きなのである。33歳だかで病死した人なので、あまり縁起がいい名前とは言えないのだろうが、高校時代に読んだ「山月記」の印象はそれほど深い。(娘も、彼の享年を無事に超えたようだ)
畏友・大野隆司画伯(1951~)から個展の案内状=写真=が届いて「山月記の作品展を開きます」と言うから、「行かずに死ねるか」という気で行ってきた。
【畏友】尊敬にあたいする友人。
会場は千葉県・柏駅から歩15分だが、行きも帰りもワシには遠くてヘトヘトになった。
【へとへと】ひどく疲れて、何をする元気も無い状態だ。
この版画家は「かわいい猫」の作品で知られるが、それは世を忍ぶ仮の姿。「山月記」展には、本当の彼らしい惑乱と狂気があふれていて、非常に見ごたえがあった。
もう一人、10歳ほど年下の畏友・加藤龍勇画伯(本名は洋)を寓居に迎えてサンド会となったが、話した内容は例によってもう記憶にはない。
【寓居】かりずまい。〔「自分の住まい」の意の謙譲語としても用いられる〕