よく分からない「シイタケの恐怖」

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つねづね申し上げているように、治五郎には食べられない物が一つも無い。(もう歯がナニなので硬い物はアレだが)。昭和2年生まれと3年生まれの両親が、食べられる物より食べられない物の方が多いのとは対照的で、遺伝の不思議を痛感する。

ワシには一つ違いの妹Aと11歳下の妹Bがいて、二人ともどちらかといえば好き嫌いの少ない方だが、一つだけ例外があって、それがシイタケ=写真=だ。

兄(ワシ)はシイタケ大好き人間で、鍋物などは何が無くてもシイタケだけは入っていないと気が済まないのだが、妹二人は正反対。これは何なんだろう。

例えば「茶碗蒸し」にシイタケが入っていると、とても喉を通らないのだと言う。あれは付けマツゲか昆虫に見えないこともないから気持ち悪いのかと思うと、そんな見た目の問題ではなく、においや味という本質的・根源的な理由があるらしい。

妹Aなどは「あれは邪悪な食品だ」と、シイタケの精神性にまで言及する。不倶戴天の敵なのだ。(そこまで言うかなあ)

【不倶戴天】相手に対して一緒にこの世に生きていたくないという気持をいだくこと。「-の敵〔=何としても許せないと思っている相手〕」

他のキノコ類(シメジ・マイタケ・ナメコなど)は平気なのに、シイタケだけは絶対に許せないようだ。ワシにはよく分からん。

ところが、こういう「シイタケ恐怖症」に苦しむ人は意外に多いらしい。野菜だと、ニンジンが駄目だとかピーマンだけは勘弁してほしいという子供がいるのは承知しているが、シイタケもまた一方の雄なのであった。

あゝ、かわいそうなシイタケ。今夜あたり、網で焼いて食ってあげようかな。