〝山口メンバー〟は「号泣」したか?

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江戸時代中期に恋川春町という戯作者がいて、狂歌なども得意とした。この人には「酒上不埒」というペンネームもあった。「さけのうえの ふらち」と読む。

【不埒】言動が限度を超しており、許しがたいと思われる様子だ。

300年の時空を超え、また世代や生業の別なく、酒の上の不埒というものは「永遠に不滅」なのだなあと悟らせる事件が、また一つ明らかになった。

強制わいせつの加害者とされる男=写真左=が超のつく有名人・人気者だったことを除けば、事件の〝不埒度〟は低い方だろう。東京では毎夜、何十件も起きている。

真相や結末・影響については、芸能マスコミが明日以降も(しばらくは)ここぞとばかりに追求するだろうから、治五郎なんかが出る幕ではない。が、ワシには「言葉」の面で、どうも腑に落ちないことが二つある。

一つは、テレビやスポーツ紙が急に使いだした「山口メンバー」という呼称。逮捕されることなく示談が成立したので「山口容疑者」とは言いにくく(ファンと読者への〝忖度〟もありそう)、かといって「山口さん」や「山口氏」では世間に通用しない。初報段階で「容疑者」を用いているのは読売新聞ぐらいのようだ。

こういう場合は「肩書を用いる」という原則があるらしく、「平尾受刑者」とか「永井研究員」とか、正体がぼかされる結果になりがちだ。山口メンバーは確かにTOKIOというグループの一員だが、「メンバー」というのは肩書なんだろうか。

もう一つの疑問。スポーツ各紙(ネット版)の多くは「号泣会見」を見出しにしているけれども、彼は謝罪会見で「号泣」しただろうか? 

【号泣】(涙を見せたことのないような一人前の男性が)感きわまって大声をあげて泣くこと。

そうだよ。大声をあげなければ「号泣」とは言わんだろう。ホンマモンの号泣など、今どき滅多に拝めるものではないのだ。

もう4年も経つのか、と感慨に浸るが2014年に兵庫県の野々村とかいう県議=写真右=が、政務活動費の不正使用に関して「号泣会見」を開いた。あれが正しい「号泣」だと思う。(ちょっと懐かしいな。ヤツは今どうしてるんだろう)