ナガサキ恋しやホーホケキョ

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 長崎と言えば卓袱(しっぽく)料理=写真左=ということになっているそうだが、少食の治五郎はこういうものに興味を持ったことがない。見ただけでゲップが出る。第一、胃袋に酒の入る余地がなくなるではないか。

この県とは妙に相性が良くて都合10回以上は出張したのではないかと思うが、そういう次第で卓袱料理とは未だに縁がない。

最初か2回目かに行った時、(いきさつは忘れたが)ちょっと変わったカナダ人と知り合って仲良くなった。京都の禅寺で修行を積んだバークガフニという男で、当時は長崎市の嘱託職員だった(その後、地元の大学の教授になったようだ。ワシとは頭脳の出来が少し違うのだ)。

「長崎という土地の文化を食べ物に例えたら何だと思いますか?」

「オー、難しい質問ですね」

「カステラ?」

「ノー」

「卓袱?」

「ノーノ―」

「チャンポンとか」

「うーん。近いけど、ノー」

「じゃ何よ」

皿うどんじゃないでしょうか。西洋だ東洋だ、大陸だ島国だという狭い発想がない。目の前にあって、うまければ何でもアリという思想を感じます」

この言葉に、ワシは激しく打たれた。 

東北人の常識からすれば、皿うどんという食品は「うどん」という概念の外にある。こんな、干からびたインスタントラーメンみたいなもん、子供のオヤツじゃあるまいに。

東日本では今でも、皿うどん知名度は低いようだ。「うどん」と認めたくないのだ。

しかし、あれはうまい! 最近、隅田川を隔てた足立区の大型スーパーまで足を延ばしたら「長崎 皿うどん」=写真右=が置いてあった(製造者は福岡市の「マルタイ」)ので、矢も楯もたまらず買ってきた。

野菜やエビ・イカ(冷凍食品で可)を用意し、あんかけスープを熱してかけると硬かった麺が徐々にクターッとしてきて、その様子が何というか、いとおしい。不穏当な表現かもしれないが、いい女が酔った時みたいとでも申しましょうか。

【不穏当】物の考え方が極端であったり表現したところが事実と異なっていたりして、だまって見過ごすわけにはいかないという印象を与える様子だ。「殺すの死ぬのとーな発言は慎むべきだ」

では、いただきます。(う・・・うまい!)