「十年一日」と「十年一昔」に関する一考察

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 浅草演芸ホール=写真左=は20世紀、ストリップ劇場だった頃に無名時代の渥美清萩本欽一北野武らを輩出した。井上ひさしも座付き作者をしていた。21世紀の初頭になって、治五郎はよく通ったというほどではないが何度か出かけた時期がある。

 「ぴろき」という芸人(54)=写真右=のウクレレ漫談を初めて見た(聞いた)のも、そこでだった。自虐的な短い失敗談の寄せ集めで、合間に「ヒヒヒヒ」という不気味な笑い声と「〽 明るく陽気に いきましょう」という歌が入る。

ぴろきは40歳前だったろう。異様な風体にワシは驚き、感心し、腹が痛くなるほど笑わせてもらった。当時の彼はまだあまり知られていなかったが、その後10年もすると「笑点」やNHKの演芸番組にもよく出るようになった。ご同慶の至りだ。

新解さんという辞書には「十年」という項目が独自に設けてある。

【十年】一年の十倍。〔現実の社会生活において何かが成就する最短期間。特に奉公の年限の意に多く用いられる〕

何かが成就するのに最低10年はかかるというわけですね。しかし「奉公」とは少し古くないかなあ、新解さん。「十年」には 続きがある。

「-一日〔長い期間にわたって変化が少しも見られない形容〕/ー一昔〔=世の中の変化・変遷を考える上で一区切りととらえられる十年〕」

この新解さんは2012年発行の第7版であるが、オールドファンの治五郎は「おや? 一昔前までは『十年一昔』の説明がもっとマニアックだったはずだが」と疑問を感じた。調べてみると案の定、第6版までは以下のように書かれている。

「-一昔」〔=その環境に漫然と浸っている限り十年間も短く また変化に乏しかったようにも感じられるが、世の中をよく観て来た人の眼からすれば、どの十年間にも 何かしら変化の観察されることが多い〕」

世の中をよく観て来た新解さんでなければ、とてもこうは断言できまい。辞書編集の世界も世代交代は避けられないが、版が改まるごとに〝新解色〟が薄まっていくのは残念なことだ。

ん~っと、何の話だったかな。そうそう、ぴろきの話だった。

彼の芸は「十年一日」のごとく何の変化もないように見えるが、本人の中では「十年一昔」と言えるような、何かしら変化が観察されているに相違ない。

過去10年を省みて、アナタは愕然としませんか? (しなきゃ、それでよろしい) 

〽 明るく陽気に いきましょう。