「冒険」という病気について

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数時間前、ネット上で次のニュースが流れた。

<登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが21日、エベレスト登頂を目指している途中で死亡した。35歳。北海道出身。4月17日から8度目のエベレスト登頂に挑戦していたが、体調不良で下山途中だった。栗城さんの公式フェイスブックなどで所属事務所が遺体で発見されたことを発表した。>(スポニチアネックス)

「ありゃまあ、死んじゃったか」という感慨はよぎるが、あまり同情は感じない。冷淡なようだが、彼は死ぬべくして死んだのだ。これまでの登頂で凍傷のため、9本の指をほとんど失ったという本人に今さら後悔はないだろう。

治五郎は小学校6年生の頃、同級生が「命知らず」という言葉について「カッコいい」と言っているのを聞いて(な、なんと愚かしい!)と感じたのを覚えている。

親にもらった命を何だと思っているのだ? 11歳まで生きてくる間にも、いろんな人を煩わせ、世話になっている。人は一人では生きられないのであって、自分の希望や満足を他者の悲しみや迷惑よりも優先できるような人間にだけはなりたくない。

子供にしてはヒネクレタ性格だっだに違いないが、それは今も変わらない。どうしても山に登りたい人は、結婚したり子供を生んだりすべきではないと思う。そればかりではない。

ある県の山岳警備隊員に、高山登(たかやま・のぼる)という男がいたとしよう。37歳だとしよう。彼には9歳の岳(がく)という息子がいるのだが、生まれつき耳が聞こえないため、これまで小学校の運動会には出られなかった。

しかし今年は頑張って出ると言うので、その日曜日を一家で半年前から楽しみにしていた。ところが当日の早朝、警備隊から指令があって「隣県の男(65)が登山中、遭難して下山しない」という。高山登は運動会に行けなくなった。妻の妙子は泣いた。

「何もそこまで具体的な想像をしなくたっていいだろうに」とキミは言うか? 治五郎は、そうは思わん。

そこまで想像してしまう男が、冒険や登山になど全く関心が持てない所以である。エベレスト=写真=どころか、最近は高尾山に登る気も失せた次第だ。